<第10章>  舞台袖



「たしろぉ、俺もう一曲分のエネルギー使っちまったよ・・。」
「しっかりしろよ藤井!まだリハがおわったばっかだろ!?あれほど本番まで押さえろつったのによーー。」


ついに音楽祭の幕が開いた。
朝から会場入り、リハーサルとあわただしくスケジュールをこなし、
オケメンバーは緊張の面持ちで迫りくる本番のステージの幕を待っていた。



静けさを破り、会場内からひときわ大きな歓声があがる。
ギブソンjrがステージに現れたのだ。



「jrのやつ、今日は楽器まで金色かよ。全くいい趣味してるぜ。」
「やっぱりかっこいい!!ねえねえ、客席にいってもいい??」
「しょうがねーなぁ。お前らちゃんと30分前までに戻ってこいよ!」
「わかってるって!行こう、綾音ちゃん。」
「茂野先輩!ありがとうございます!!」


吾郎は、どうしても客席から見たいという彼女らのわがままを渋々許してしまった。


ほどなく、リハーサル室のモニターから、美しい音色が響き渡る。


曲は、クライスラーの「美しきロスマリン。」



美しい音色にあわせて、jrの美しい金髪が揺れる。
長くしなやかなその指は軽やかなワルツに乗せてくるくると踊り、観客の心を魅了した。

と、曲の終盤で、急に伴奏をしているピアノの曲調が変わった。


「_____ジャズアレンジ!?」


一人、リハーサル室の隅で集中していた寿也も、思わずモニターの前に近づいた。
ふと、吾郎と目があった。


「・・・あいつ、最近、クラシック以外でもだいぶ活躍してるぜ。」
「聞いたことあるよ。このあいだはブルーノートでも演奏したんだって?」
「・・・さすが、よく知ってるなぁ。」


たわいのない、吾郎との普通の会話。



自分たちの出番が終われば、そんな触れ合いもなくなるのか。
今の寿也は、不思議とそんな感傷的な思いよりも、これから今は本番のステージに賭ける、
背筋が震えるような緊張感に包まれていた。むしろ全身に力がみなぎるような、
満ち足りた心境である自分が不思議だった。



jrの華麗なるジャズフルートに会場中の観客が酔いしれている。



「う・・わ・・・この後に俺らが演奏するなんて、キツイものがあるなあ・・・。」

「こっちはフルオーケストラやで。存在感がちゃうやろ?」

後ろ向きな大河の発言を、同じパートの三宅が楽しげに否定する。
たとえ、コンクールで順位を争ったことがあっても、練習中何度もぶつかりあったとしても、
同じオーケストラで演奏したこの3ヶ月間で、メンバーの間には、それなりの絆はできていたのだった。


ステージ上では、演奏を終えたjrが、時折混じる黄色い歓声に
笑顔とウインクというサービスを織り交ぜながらカーテンコールに答えている。


なかなか静まらない会場に、ついに、寿也たちの演奏を告げるアナウンスが響き渡った。


皆緊張の面持ちを隠しきれない。

暗転し、幕が降りた状態の舞台に、オーケストラのメンバーが次々に着席していく。
寿也は上手の舞台袖にたち、一人一人としっかりと目を合わせ、安心させるように頷きながら、それを見送っていた。


ふと、薬師寺と、目があった。


まるで緊張などないように、彼はほんの少しだけ微笑んで、楽器を手に舞台へと進む。


幕が上がる。舞台上には、威風堂々たるオーケストラとグランドピアノが、
静かに時を待っていた。


コンマスの眉村がゆっくりと壇上に進み、うやうやしく拍手をうけるとバイオリンを構えた。
形式的だが、大切な最後のチューニングのAの音が響き渡る。





舞台袖に残るのは、指揮者とソリストだけ。




先に出て行く寿也が、振り向きざまに吾郎に言った。




「行こう。最高のステージにしよう。」




真っ直ぐに見つめる寿也の瞳にはもう、曇りはなかった。



「ああ」



吾郎も晴れ晴れとした笑顔だった。




二人は拳をつき合わせて緊張の糸を緩める。




寿也が拍手でステージに迎えられ、続けて吾郎がゆっくりと壇上に進んだ。




拍手と、静寂と、緊張と。




これから彼らが奏でるのは、きっと愛の奇跡。






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