2011 眉村くんお誕生日おめでとう
With Love on Happy Merry Birthday.
___来週、家に来いよ。誕生日祝ってやる。
今年のクリスマスは週末と重なって、どこも大変な人出だから、と、薬師寺は付け加えた。眉村はそうだな、と言って軽く頷いてくれた。その時の優しい眼差しを思い出しながら、薬師寺は青と白のイルミネーションに彩られた街路樹を歩く。今日は待ちに待った12月24日である。
お気に入りのデリで買ったオードブルと二つ分の小さなケーキ。あとは昨日仕込んだチキンをグリルで焼けばりっぱなクリスマスディナーになる。極上のシャンパンで乾杯したら、たくさんキスをして、めちゃくちゃになるまで抱いて、愛して、溶け合って、そして…。あれこれと算段しながら、恋人の誕生日まであと数時間という特別なカウントダウンに、自然と歩みは早くなる。
マンションを見上げると、自室の窓が明るいことに気付いた。眉村が先に来ているのだろう。薬師寺は彼を待たせた焦りよりも、いますぐに会える喜びに震えながらエレベーターに乗り込んだ。高層階へと上がる動きがいつもよりも遅く感じる。最上階に着くと、薬師寺はマナーも忘れ廊下を駆け抜け、インターホンを鳴らした。いつも自分で開けるしかないドアが、中から開く幸せを味わうために。
「待たせて悪…」
「メリークリスマース!遅ぇぞ薬師寺!」
扉は開かず、四角いマイク越しにがなり声が聞こえただけだった。その声は明らかに眉村のものではない。茂野吾郎だ。薬師寺は自分でも顔がひきつるのがわかった。何故今この時を奴と過ごさねばならないのかと眩暈がした。するとドアが中から開いた。顔をだしたのは佐藤寿也である。
「薬師寺、お帰りなさい!」
寿也は満面の笑みをたたえ、早く入って入って、と楽しげに薬師寺を迎え入れた。これではどちらが家の主かわからない。確かここは自分のマンションのはずなのだが、と頭を掻きながらショートブーツを脱ぐ。邪魔してるぜ、と奥から、メジャーリーガーの声がした。
「お前らここで何してんだよ。」
「何って、クリスマスパーティだよ?ね?吾郎くん」
彼らに出迎えられた時から察しはついていた通りだった。リビングに入り目に入ったのは、壁の派手な飾り。テーブルの上にはこれでもかと買ってきたピザ、ケーキ、惣菜が並んでいる。その横にはあらゆる種類を網羅したワインのセレクト。中には上等なシャンパンまであった。どうやら食にうるさい自分のために、この二人が努力してくれたらしいことがうかがえる。薬師寺は次第に怒る気力を無くしていった。
「いつの間にこんなことになってたんだよ…」
「俺が呼んだ。」
薬師寺の独り言に対する返事は背中越しに聞こえた。それは眉村の声だ。ようやく一番会いたかった恋人が現れたのだった。眉村は買いものに出ていたらしく、片手にバゲットを抱えながら首に巻いたマフラーをはずしている。彼にしてはめずらしく、いたずらっぽい無邪気な笑みを浮かべている。
「たまにはにぎやかになるのもいいだろう?」
自分の大切な男が何の屈託なく笑うのである。仕方がない。薬師寺は観念した。極上のシャンパンで乾杯したら、たくさんキスをして、めちゃくちゃになるまで抱いて、愛して、溶け合って、そして…。そんな思惑は今、音を立てて崩れゆく。大きくひとつため息をついた。そうだ、こんなクリスマスも悪くない。眉村がそれを望むのなら、それでもいいじゃないか。薬師寺は脱力感にさいなまれつつ、仲間との宴会モードに切り替える。どちらにせよ、眉村の誕生日だ。めでたく楽しく過ごせるに越したことはない。
「それじゃ、パーティ、しますか。」
薬師寺はにやりと笑い、腕まくりしてみせる。
「そうこなくちゃ!」
寿也の目が輝き、吾郎が不敵に笑う。眉村は嬉しそうに微笑んだ。
グラスを合わせ乾杯して数時間。山ほどあった馳走はみるみる無くなっていった。野球選手はとにかく食べるのだ。喋り、笑い、そして食らう。せわしなくも楽しい時間が過ぎてゆく。
「いつ帰国したんだよ、茂野。」
「プレーオフで惨敗したから早かったぜ。」
彼の活躍は海を越え耳に届いていた。だが吾郎の精悍な顔に会うのは久方ぶりだった。隣にいる寿也の笑顔がいつもにも増して幸せそうに輝いている。薬師寺は、一年前を思い出した。二人は自分たちの目の前で、一つの約束を交わしたのだ。
_______「茂野吾郎と佐藤寿也はこれからも互いを想い合う。」
ただそれを宣言しただけの、何の拘束もない約束。しかし、深く尊いものだった。
それはオフに入ってまもなくのこと。ドライブと称して連れだって行った高原。すでに秋は終わり、もうすぐ冬を迎える寒さだった。平日の昼下がり。閑散とした森のはずれの小さな教会で、吾郎と寿也が向かい合ってキスをする。薬師寺と眉村は二人の誓いを見届けた。自分たちだけが祝う、小さな儀式だった。それでも薬師寺には彼らの覚悟がまぶしかった。幾多の困難があろうとも、深く秘めた想いを永遠に誓うその潔さ。二人を心から祝福しながら、自分には到底手に入らない勇気をうらやましく思っていた。
あれから一年余り。吾郎と寿也が柔らかな視線を絡ませるたびに思う。二人の強さは本物なのだと。
「なーにを湿気た面してんだ薬師寺!」
「吾郎くん、その前に僕の皿から食べもの取るのやめてくれないかな?」
目の前で無邪気にチーズを取り合う様を見ながら、薬師寺の顔が自然にほころんだ。
「お前らはこれからも変わらないんだろうな。」
誰にも聞こえないようつぶやいたのに、眉村が何か言ったか?と顔を上げた。薬師寺は、何でもない、と言って赤ワインを喉に流し込む。今日はずいぶん飲むんだな、という優しい声が頭越しに聞こえた気がした。
◇◆◇
「そろそろ起きなよ。薬師寺。」
頭上で佐藤寿也の声がする。背中を何度もたたかれてようやく気が付いた薬師寺は、ベッドでうつ伏せになったままの状態で目を開ける。いつの間にか、自分の寝室にいたのだ。顔を上げるのがつらく、頭が重い。すっかり悪酔いしたようだ。
「悪ぃ…調子に乗って飲みすぎた…。」
だからもう少し眠らせてくれ、と言う前に、強引に体を起こされる。
「駄目だよ!早く!!遅れるよ?」
「…どこ…に?」
容赦なく体を揺さぶられても抵抗できない上に、寿也の言葉の意味が全く理解できない。遅れる?何が始まるというのか。今日はいったい何月何日なんだ?
「いいから支度するんだよ。」
ぼんやりとする自分に向かって、寿也はクローゼットから一番いいスーツを出せと言う。不思議なほど冷静な寿也を見ていると、これは現実なのか、いや、クリスマスパーティから時が経ったのか、と混乱する。寿也はため息まじりに優しく言った。
「だから結婚式だよ。」
「そんな予定あったか?誰の結婚式に行くんだ?」
「いいから、とにかく支度してよ」
激しい頭痛のせいで、それ以上考えるのも面倒になった。おそらくまた吾郎と寿也が誓いを交わすのだろう。きっとこれは夢なのだから、流れにまかせておけばそのうち目も覚めるだろう。薬師寺はあくびをしながら言われるままにスーツに着替え、髪を整えて部屋を出た。
「わかったわかった。もう一度お前たちに付き合えばいいんだろ?こないだは普段着だったしな、せっかくだもんな。」
こうなったら乗せられてしまおう。そのほうが楽しめる。腹をくくると、薬師寺は冗談すら言えた。しかし、ドアを開けると状況は一変する。さっきまでどんちゃん騒ぎをしていたはずのリビングに、礼装姿の眉村が立っていたのだった。
「これ…は?」
美しい恋人の姿は、瞬時に薬師寺の目を覚まさせる。いや、こんどこそ夢なのかもしれない。食卓の上はすべて片づけられ、真新しい、白いクロスがかけられている。そこには美しいカサブランカの花が一輪、先ほど飲んだワインの瓶に挿してある。薬師寺は何度か瞬きしてそれを凝視した。二人で越えてきたいくつもの夜の中で、確かこんな光景を見たことがあったような…。
薬師寺は立ち尽くしたまま言葉が出ない。穏やかな笑みを浮かべた吾郎がその肩に手を置いて言った。
「俺たちは立ち合い人だ。なぁ?トシ?」
「今日は君たちの結婚式だよ。」
寿也がにっこりと笑う。薬師寺は朦朧とした意識のなか、鮮やかに白く輝くカサブランカを眺めていた。いまだ夢見心地の薬師寺の手を、寿也はゆっくり引いてゆく。
「さあ薬師寺、ちゃんとここに立って。」
導かれたのは白いテーブルの前。それはまるで祭壇のようだった。隣にいるのは、誰よりも大切な人。吾郎と寿也はその後ろにそっと並んで、二人を見守っている。いつもの自室であるはずなのに、何か神聖な場所のような気がして、薬師寺の鼓動が速くなる。
「ずるいぞ、眉村。」
嬉しい気持ちと、恥ずかしさがあいまって、薬師寺は頭を掻いた。眉村は真面目な顔で言った。
「俺の誕生日を祝ってやるとお前が言った。だから今、何よりも欲しいものを望んだ。」
「お前の…欲しいもの?」
眉村の声は静かだった。これは本気の時の彼の瞳だ。
「薬師寺、それは、お前の覚悟だ。一生、俺と共にいて欲しい。」
薬師寺は目を見開き、言葉を失った。雷に打たれたようだった。震える右手をゆっくりとのばし、眉村の頬に触れる。彼は動じることなく、優しい眼差しを薬師寺に返す。
「やってくれたな、眉村…。」
薬師寺は途方にくれた。自分の計画はすっかり狂ってしまった。こんな日を誰が想像していたというのか。極上のシャンパンで乾杯したら、たくさんキスをして、めちゃくちゃになるまで抱いて、愛して、溶け合って、そして。
「今夜を…最後にする、つもりだったのに。」
思う存分、幸せを味わったら、綺麗に別れるつもりだった。FAにより、眉村のメジャー移籍が決まったのは晩秋の夜。そのときから密かに決めていた。ずっと悩み、それでも手放すことができなかった道ならぬ恋に、今度こそ決着をつけようと。アメリカへ旅立つ眉村を、笑顔で送り出し、二人が全く別の人生を歩みだす記念の日にするつもりだった。幸せなクリスマス、そして最後のクリスマスにすることを。
薬師寺は苦しそうに言葉を紡いだ。
「俺はこれ以上お前のそばにいちゃいけないと思ってた。」
吾郎と寿也が驚いて顔を見合わせる。だが眉村はひるまなかった。
「最後になど、させるものか。」
マウンドで勝負を掴むエースの表情で、眉村はしっかりと薬師寺を見据えていた。
「離れていても、どんなことがあっても、俺はお前を愛してる。共に暮らせなくてもいい。家族でなくてもいい。俺の魂はお前と共にありたい。ただそれだけなんだ。」
強い意志をたたえた眉村の瞳が、まっすぐに薬師寺を貫いている。薬師寺は立っているのもやっとだった。何か言わなければいけない。でも言葉が見つからない。涙が溢れそうになるのを必死で堪えていた。
深く深く彼を愛してる。魂などとっくに捧げている。だから自分一人で守ろうと別れを決意した。どうしようもないほど身勝手な愛だとわかっていた。だが、眉村は二人で育むことを望んでいるのだ。こんな幸せな結末があっていいのだろうか。
戸惑いと怖れから、薬師寺は自分の手が震えるのがわかった。すると眉村の温かな指が両手を包みこんだ。
「頼む。薬師寺」
優しく微笑みながら、世界で一番美しい恋人が懇願する。抗えるはずもない。薬師寺は目を伏せる。涙がこぼれ落ちる。と同時に、眉村をありったけの力できつく抱きしめた。
それが、答えだった。それしかなかった。
抱きしめられた眉村は腕の強さに一瞬驚く。だがすぐに満ち足りた笑顔でそっと腕を薬師寺の背中に回した。
寿也が歓声を上げ、茂野がガッツポーズを決めた。二人は同時に拍手する。
「おめでとう!」
「ずっとこの日を待ってたよ。君らが僕たちの誓いに立ち合ってくれた時から!!」
心から祝福してくれる二人を前に、薬師寺は頭を下げた。
「佐藤、茂野。お前らにはなんて礼を言っていいかわからないぜ。」
「それはこっちも同じことさ。さあ、今度は僕らが見届ける。」
先ほどまで心配そうに見守っていた親友たちは、顔を輝かかせて二人をせかす。
「急に言われてもなぁ…」
薬師寺は、せめて指輪でも渡したいところなんだが、と苦笑した。すると眉村が首を横に振る。
「形あるものは要らない。」
どこまでもまっすぐで、凛々しい。マウンドで輝く姿も、閨でまどろむ色香も、すべてが愛しい。薬師寺はもう一度彼を抱きしめ、そうだよな、と言って笑った。
「誓え、薬師寺。お前が一年前、俺に言わせたように、ちゃんとひざまずけ。」
吾郎の言葉に、薬師寺は深くうなずいた。恭しく眉村の足元にひざまずくと、彼の大切な右手を取る。そして姫君を敬う騎士のように一礼し、ゆっくり、優しく手の甲に口づけを落とす。顔を上げると、恋人の頬はいくらか染まっているように見えた。薬師寺は上目使いで彼の視線を捉えて言う。
「ここまできて、照れるなよ?」
眉村は声無く頷くのが精一杯のようだった。途端に薬師寺の脳裏に、出会った頃から今までの甘い記憶が蘇る。
夢中で恋い焦がれた10代の頃。それぞれが越えてきたプロ生活の波。激しく求め合う時も、穏やかに過ごす時も、愛してるといつも言い続けてきた。だが一度たりとも、永遠を約束したことはなかった。今宵、初めて迷うことなく伝えることができる。心の奥底では、この日を夢見て生きてきた。
薬師寺はもう一度吾郎と寿也に感謝の意を伝えた。そしてゆっくりと立ち上がると、喜びに包まれながら愛する男を見つめたのだった。
「俺は…眉村健を一生愛することを誓います。」
ゆるぎない覚悟と共に、低く澄んだ声が響き渡った。
<The End>
2011年12月24日
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