「こぼれる音」
文字書きバトン( ブログ記事参照 )で挑戦した薬眉SSです。
お題 「音」 「こぼれる」
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練習試合が終わり、遠征先を出発してもう小一時間ほど経っていた。
静かに走るバスの中の部員たちは、全員が夢の中。
一人起きていた薬師寺は、流れ行く窓の景色を眺めていた。
今日は4打数3安打。打球の伸びは悪くなかった。だが守備に後悔が残る。
テンポが遅れて送球が乱れ、ゲッツーにできなかったことが少し悔しい。
小さくため息をつきながら暗くなりかけた空の雲を目で追っていた。
すると、ずしり、と左肩に重さを感じた。
隣に座る眉村が、ヘッドフォンをしたまま、自分にもたれかかり
小さな寝息を立てている。
ああ、またか。
それは、いつもの光景だった。
試合前の車内で、眉村は隣に誰も座らせず、一人集中する。
だが、帰りのバスでは決まって薬師寺の隣に座り、
こうして枕代わりにして熟睡するのだ。
薬師寺も眠気を感じ始めていたのだが、
こうなってしまうと、もう寝る気にはなれなかった。
眉村が起きないように注意しながら、
彼が不自然な体勢にならないようそっと自分の体の向きを変える。
車内はしん、と静まりかえっていた。
眉村のスピーカーから、小さな音が漏れている。
またクラシックを聴いているのだろう。
流行のポップスのように、一定のテンポを保つわけではない近代の楽曲は、
機械から発する音量が定まらない。
シャカシャカと賑やかだったかと思えば、
緩やかな旋律になると、小さく静かになる。
かすかに聞こえる音の粒は、様々な形に変わりながらこぼれるのだ。
隣から不規則に聞こえる小さな音が耳障りで、
初めの頃は煩わしく思っていた薬師寺だったが、
今ではすっかり慣れてしまった。
むしろ、心地良ささえ感じる自分が可笑しい。
子守唄のように穏やかな2楽章で眠りに落ちたと思われる眉村は、
やがて4楽章の大きな管楽器と打楽器の激しい旋律に襲われ、
ハッと目覚めることだろう。
最近彼が気に入っているのは、たしかそんな構成の交響曲だ。
薬師寺は眠れる眉村の美しい目元を眺めながら苦笑した。
案の定、突然破裂音に似た強い音が聞こえた。
それに驚いた眉村の体が、ビクリと動き、切れ長の目が少し開いた。
黒く深い瞳が濡れたように覘く。
顔を上げた眉村の目線は、ゆらりと薬師寺を捉えたかと思うと、
その向こうの窓の外へと飛ぶ。
薬師寺はクス、と笑うと言った。
「寝てろよ。まだ着かないぜ。」
「・・・ん・・・そうか。」
眉村は小さなあくびをして再び彼に体を預けた。
遠慮のない態度に、薬師寺は呆れた顔になる。
いくらなんでも親密すぎる。
少し焦りを感じて周りを伺った。
幸い、通路を挟んだとなりの席に座る国分と児玉は大きないびきをかいていて、
斜め前の佐藤でさえも、コクリコクリと舟を漕いでいた。
眉村の短い髪が薬師寺の頬に触れた。
くすぐったい刺激は、胸の奥まで届く。
二人が只ならぬ関係になって、随分経っていた。
恋と呼べるほど、キラキラ輝くようなものではなかったが、
相手への気持ちは途切れずに今に至る。
むしろ、それは音も無く降り積もる雪のように、
深さを増してゆくようだった。
車内の冷房が少しきついような気がして、
薬師寺はずり落ちた眉村の上着を、もう一度彼にかけてやった。
眠りたいなら、穏やかで静かな曲を選べばいいのに。
壮大な交響曲なんて聴くから、
途中で何度も起こされる羽目になるのだ。
薬師寺は再び眉村の寝顔を見つめた。
ヘッドフォンをはずしてやれば、宿舎に着くまで安眠できるかもしれない。
でも、寝ぼけ眼で目覚める瞬間を、もう一度見たい気がして・・・・。
(ちくしょう。眠れねーよ。)
悔しいから、そっと眉村の手を握った。
誰にもわからぬよう、上着に隠れて触れ合う指先から、温もりが伝わる。
薬師寺はそのまま、彼の耳元から漏れ聞こえる音に聴き入った。
愛しい恋人への想いが溢れ、こぼれた瞬間だった。
<終>
2009.1.24
(2月19日再録)
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