パラレルSS< Bar Third >
2009年 吾郎誕生日記念
<Bar Third の風景 〜ショートカクテルに想いをこめて〜>
ここは 住宅街にひっそりと佇む小さな店である。
「今日も暇・・・か。」
ゆっくりとグラスを磨きながら、薬師寺はあきらめたように溜息をついた。
不景気と呼ばれるご時勢でも、懐に余裕のある人種は確かに存在し、
そんな常連客のおかげで幸いにして店はなんとかやっていけている。
だが、暗礁にのりあげたままの二店舗目の計画を思うと、未だ現実は厳しい。
店の品揃えもいろいろとやりくりを余儀なくされている。
共に暮らす恋人も最近は忙しそうだ。
互いに仕事ばかりの毎日だから、
今度の休みには少し気分転換に遠出しようなどと思いをめぐらせていると、
ドアが開き客が入ってきた。
す、と、伸びるはずの背筋が緩む。
「・・・なんだお前か。」
「お前か、じゃねーだろ お客様によ。」
シャツの腕をラフにまくった茂野吾郎は、眉間に皺を寄せ遠慮のない視線を投げてきた。
磨きこまれたカウンターにどっかりと座ると、ビール、と言って大きなため息をつく。
「どうした。機嫌が悪いな」
きめ細かな泡を丁寧に作りながら、薬師寺が苦笑する。
「別に・・・なんでもねーよ!」
「そうか。」
「・・・・。」
自分から話す気がないのなら、深入りしないのがポリシーだ。
だが、吾郎はチラチラと薬師寺を見ながら、
おそらく味わってはいないだろうビールのグラスを傾ける。
薬師寺はナッツの皿をだしながら言った。
「・・・また、佐藤と喧嘩したのか?」
「ま、まあな。実は・・・」
急に身を乗り出すあたり、本当にわかりやすい、と薬師寺は胸の内で呟く。
長年の付き合いだった。
他に客がいないせいか、吾郎は熱心に語り始める。
佐藤寿也が大手広告代理店、海堂エージェンシーをやめて、
茂野吾郎の事務所に入社してから一年あまり経つ。
なんとか軌道に乗り始めた事務所は、
優秀な営業である寿也のおかげでさらなる成長を遂げていた。
おかげでクリエイティブ担当の吾郎は目が回るほど忙しくなってしまった。
多くの仕事をこなすために、吾郎のアシスタントだった大河にも
仕事をまかせるようになったという。
そんな矢先、舞い込んだ大口のプレゼンがあった。
小さな仕事を積み重ねてゆくうちに、自信をつけた大河は、
その仕事を一人でやらせて欲しいと申し出た。
寿也はやるべきだと言ったが、吾郎は無理だと言った。
だが吾郎は既に3つほど案件を抱えていて、どれも切羽詰った状況だった。
結局吾郎がキャパシティ以上に抱え込んだ。
ゆえに満足行くものが出来ず、結局プレゼンで負けてしまったのだ。
「なるほどな・・・」
「寿に、散々怒られた。」
「そりゃそうだ。」
同情の余地無し、と薬師寺は切り捨てる。
その手はせわしなく動き、氷がシェイカーに入れられた。
「ちぇ、お前まで。」
売り言葉に買い言葉。
寿也に対し心にもない捨て台詞を言って出てきてしまった。
薬師寺はさっさと事務所に戻れというが、
それが出来るならこの店には来ていない。
後悔してるとはいえ、素直になれずふてくされる吾郎の前で、
黙々と薬師寺がシェイカーを振る。
注文してもいないのにカクテルを作っているのは、
きっといつものように新しい味の調合に余念がないからだろう。
吾郎は横目でその姿を伺った。
リズミカルな音と、堂々たる出で立ち。
振り終わったシェイカーから素早くグラスに注ぐ瞬間は、
やはり空気がはりつめるように美しい。
昔からの友人ではあるが、吾郎にとっても薬師寺は魅力的なバーテンダーであり、
いつかそのセンスを自分の創作に生かしてみたい、などとぼんやりと思った。
「・・・・どうぞ。」
「は?俺は頼んでねーけど?」
目の前にだされたショートグラスを暫時見つめていた吾郎はニヤリと笑う。
「なんだよ、なぐさめにおごってくれんのか?」
「ま、そんなとこだ。今日、お前の誕生日だろ?」
吾郎の顔が輝く。誕生日のことはすっかり忘れていた。
「ありがとう心の友よ!!」
抱きつかんばかりの吾郎の手を、薬師寺はひらりとかわす。
さっさと飲め、と接客にあるまじき態度をとった。
なんだよ、といいながら吾郎がグラスを手にとり
白みがかった液体をそっと口に含む。
「んあ!?なんだ・・・甘い!!」
「アレキサンダーだ。」
予想外の味に慌てる吾郎に、楽しげな笑みを浮かべた薬師寺が言った。
「コレ・・全然俺の好みじゃねーんだけど。」
「それは申し訳ないな。だが依頼主からのオーダーだから仕方ない。」
「薬師寺からじゃねぇのかよ?・・・・・・」
「残念だが違う。さっき電話をもらったんだ。今から来る客に、作ってやってくれと。」
薬師寺は淡々と語るが、この言葉だけで茂野吾郎にすべてが伝わるとは思っていなかった。
だが思案顔の彼はすぐに答えを見つけ出す。
「・・・寿のやつ・・・」
吾郎が立ち上がった。
そんな顔をすることがあるのか、と薬師寺が思うほど慈愛に満ちた表情が浮かんでいる。
「ごちそうさん。また来る。」
「ちょっと待て茂野。お前、コレの意味わかってんのか?」
「ん?わかんねぇ。でも、たぶん、寿が好きそうな味だ。」
だが薬師寺の記憶の中で、佐藤寿也が茂野吾郎の前でこのカクテルを飲んだことはない。
それどころか、自分は寿也に作ったことすらないはずだ。
「たぶん寿は、こんな甘っちょろい俺を責めながら、一方では俺の譲れない部分もわかってくれたんだ。」
だから帰るわ、と清清しいほどの笑顔をみせると、
茂野吾郎は会計を済ませ店を出て行った。
「…まいったな。」
伝票を手に、残された薬師寺は呆然とした。
まだ伝えていない言葉があった。
吾郎が店に来る前に、彼を探す佐藤寿也から電話があった。
行き掛かり上、彼が事務所を飛び出したいきさつをきいた薬師寺は、
気を利かせてある考えを提案した。
___甘いものでも飲ませて、目を覚まさせてやりますか?
___それ、いいですね。
電話越しに寿也は喜んだ。
薬師寺にとって吾郎と寿也は、もはや客である前に大切な友だったのだ。
___じゃ、アレキサンダーで。
___わかりました。
久しぶりに心躍る気持ちになり、
辛党の茂野をこらしめるべく、できるだけ甘くすべきだな、と薬師寺は思った。
たとえ茂野が怒ろうとも、種明かしをすれば笑ってくれるような奴だ。
仲直りできる小さなキッカケにでもなれば、と軽い気持ちだった。
しかし寿也はもっと深い意味を伝えたいと言った。
『では最後に吾郎くんに伝えてください。
甘さの中に君なりの信念があることはわかっている、と』
随分と気障だとは思ったが、いかにも聡明な寿也らしい。
そして彼は、なんだかとても照れくさそうにつけくわえた。
____ついでに、“誕生日おめでとう”も、お願いします。
クールなバーテンダーの顔に、思わず笑みが浮かぶ。
二つ返事で了承すると、薬師寺は吾郎の来店を待ったのだった。
だが、メッセージを伝える間もなく、茂野吾郎はすべてを理解した。
シェイカーに残ったアレキサンダーを飲み干した。
舌先から口内に、カカオの香りと、リキュールの刺激が広がる。
仕事への甘さ、お互いへの甘え。
高級なチョコレートアイスの如きカクテルにこめられた、それぞれの想い。
「たいした想像力だぜ。」
クリエイティブな世界に生きる二人のエキスパートに舌を巻き、
その絆の強さを改めて強く感じたのだった。
吾郎への誕生祝いも伝えることはできなかった。
でも、おそらく今頃寿也の口から直接聞いているだろう。
あの二人なら、いつかものすごいことをやってのけるかもしれない。
友らの前途を祝して、薬師寺は一人、心の中で乾杯を捧げた。
<終>
吾郎くんお誕生日おめでとうv
2009年11月30日
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