馳せる颯 外伝
<SS 桜 其の弐>
宴もたけなわだった。
時折舞い落ちる桜の花びらと、楽しげな笑い声が、
青き空に溶けてゆく。
「草野殿、御一献。」
「かたじけない」
「これ!薬師寺!俺にも注げ!」
「阿久津・・・・・ お主、飲みすぎだ。いいかげんにせぬか」
「今日は無礼講との仰せであるぞ!!」
「殿!なんとかしてくだされ。」
助けを求めるような薬師寺が、眉村を見た。
「花見がしたいと散々申したのはそなたじゃ。
今日はあきらめて、皆の面倒をみるのだな。」
「これは異なことを承る。宴は殿がお命じになったのです。私は何も・・・」
冷ややかな眉村の言葉に追い討ちをかけたのは、軍師の佐藤。
「薬師寺殿、悪あがきですぞ。」
酒宴の席にどっと笑が起きる。
仕方なく薬師寺は阿久津に何度も酒を注ぐ羽目となる。
やがて、侍女を呼んでようやくその場を離れることができた薬師寺が、
本来の位置である、眉村の傍に座る。
そして、深くため息をつくと、頭上の桜を見上げた。
青空に映える薄紅色が、どこまでも美しい。
「ようやく、殿と花を愛でることができまする。」
そう言ったが最後、桜を見上げたまま、薬師寺は黙りこんでしまった。
その横顔は曇りなく、眼差しは春の小川のように澄んでいる。
時折舞い落ちる花びらが後ろで結った髷にからんでも、
まるで気にするそぶりもない。
主君のことを忘れ、花に魅せられている薬師寺がおもしろくない眉村は、
催促するように、杯を差し出した。
薬師寺がそれに気付き、慌てて動いたために、
その手から離れた酒瓶が地面に転がった。
花びらをまとった土が、淡く白い水を吸い込んでゆく。
「・・・・申し訳ありませぬ」
すぐに新しいものを用意させると、
薬師寺はもう一度眉村の杯の前に跪いた。
音もなく注がれた液体に、花が映る。
眉村は黙ってそれを見つめた。
はかなくも美しい。
「薬師寺・・・・来世は・・・・」
「は?」
「そなた、来世は桜になるとよい。」
薬師寺が目を丸くする。
「おお、そうだ。死んだら、桜の木の下に弔ってやろう。」
嫌味を言ったはずなのに、それを聞いた薬師寺の顔がほころんだ。
「それはありがたき幸せ。」
その顔の邪気の無さに、眉村の顔が何故か赤くなった。
ごまかすように酒をあおる。
「・・・・戯言じゃ。」
「殿のために、毎年美しく咲きましょうぞ。」
その瞳に偽りは無い。
眉村はふと、いつか本当に、彼が花びらと共に潔く散ってしまうような
恐れを感じ、思わず声を荒げてしまう。
「戯言だと申しておる!」
「・・・・殿?」
薬師寺のように、桜愛でる喜びに浮かれていられないのは何故なのだろうか。
・・・・・・それは。
眉村は美しい花の波を見つめながら、ふと心乱れるのだ。
来年も、再来年も、ここで桜色の彼を見ることができるのかと。
一方、何故主君の機嫌を損ねたのか見当もつかない薬師寺は、
眉村の反対側に座っていた佐藤の顔を伺い見る。
佐藤は、困惑した薬師寺の視線を受け、少し大げさな顔をして呆れて見せた。
「薬師寺殿のご忠義には誰も敵いませんな。しかしながら、
いくらなんでも、桜では戦場にて役に立ちませぬ。」
「おお、それもそうじゃ。殿、申し訳ありませぬ。」
眉村の真意を知ることなく、薬師寺は恭しく一礼する。
そして、また家臣たちの輪に呼び戻されると、
いつになく賑やかな声を響かせた。
眉村は小さくため息をつくと、しょうがない奴だな、と寿也につぶやいた。
寿也は袂で口元を隠しながら、そっと眉村に囁く。
「・・・・薬師寺殿はお幸せにございますな。」
黙ったまま動かぬ主君の姿に、佐藤寿也はもう一度笑みを向けると、
美しい桜の花に、自らの秘めた想いを馳せた。
いつの日か同じ顔ぶれで桜の下に集うことが叶わぬ日が来ることなど、
彼らは知る由も無かった。
<終>
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