<海堂篇 3>
「トシ!一緒に海堂に行こうぜ!! 二人であの学校のタイトル総なめだ」
「タイトル??何を言い出すのかとおもえば・・・意味がわからないよ」
「俺が首席で卒業するのさ。で、お前が二番ね。」
「本気? 僕が首席の間違いじゃないの?」
「ばぁか!ちげーよ!」
クスクス、と寿也が笑う。
吾郎の瞳はキラキラと輝いて、自分を真っ直ぐにみつめてくれていた。
「まずは、合格しないと。ちゃんと音楽史の勉強、してる?」
「い、いや・・・」
「君の実技は申し分ないけど、こういうことも、入試には大事なんだってこと忘れてない?」
嫌がる吾郎に、無理やり教科書を広げて見せると、彼は大げさに困った顔をして、
勘弁してくれよ、と笑った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
また、あの夢だ・・・。
朝の目覚めと共に、現実に引き戻される。
同じ制服を着た生徒たちに追い越されながら、佐藤寿也はうつろな目で空を見上げた。
共に学び、一緒に海堂高校を目指そうと言った大切な幼馴染は、
二人で合格を喜んだのもつかのま、4月の入学を待たずにアメリカに留学してしまった。
突然のこととはいえ、彼のキャリアを考えたら当然の選択だと思う。
偉大なピアニストと著名なピアノ指導者である養父に育てられた茂野吾郎は、
天才的ともいえるピアノの才能の持ち主だった。
___大丈夫。一人でも、僕はがんばるから。
笑顔で送り出したはずなのに、あれからピアノへの情熱はすっかり冷めてしまった。
彼に憧れ、彼と共に音楽の道を志そうと必死で自分も練習をしてきた寿也にとって、
それは大きな痛手となった。
吾郎のいない日本で、一人音楽に向きあうことがむなしい。
惰性で弾く音は、深みも何もない。
ただただ流れるように時間が過ぎてゆく。
___しっかりしろ!! 大切な友達と、遠く離れただけじゃないか。
吾郎が傍にいたころは、いつも楽しくピアノを弾いてきた。
彼がどれだけ自分にとって大きな存在かはよくわかっていた。
だが吾郎は、類まれな才能の持ち主。
いつか離れなければならない。離れる日が来る。
心のどこかでわかっていたはずなのに、彼と共にとこまでも進むのだと、夢を見ていたのだ。
「馬鹿だよね・・・」
ぽつり、とつぶやいた言葉は、ひっそりと道端に落ちていった。
始めは遠いと感じた通学路も、ようやく慣れてきた。
それなのに、いつまでも心は空っぽのままだった。
____僕にとって、音楽って何なんだ・・・・?
寿也は、どうして自分がこんなにも寂しい気持ちになるのか、
まだはっきりと自覚していなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
次の週の金曜日。
寿也は、前日の授業で使った楽譜がないことに気付いた。どこかに忘れてきたらしい。
さすがに、楽譜無しで授業に出るほどの度胸は無い。
両親が無理をして学費を出してくれた学校である。
いつまでも、友に去られたことでクヨクヨしている場合ではない。
ちゃんと卒業することは最低限の義務だと思った。
楽譜を置いてきてしまった、第三音楽室の前に来た。
「なんだ。部活で使ってるのか・・・」
防音扉に貼られた一枚のポスターには、
<本日開催!海堂高校管弦学部 新入生歓迎コンサート>と書かれている。
音符が描かれたポスターを見つめながら、寿也がどうしようかと考えあぐねていた時だった。
「おや?君は新入部員だな!」
急に肩を掴まれた。
驚きの声とともに振り向けば、背の高い先輩らしい学生が仁王立ちしていた。
「あ、いえ、僕は忘れ物を・・・」
「こんなとこにいないでさっさと中に入りなさい!」
「けっこうです!」
「残念ながら、逃がすわけにはいかないよ。」
彼は有無を言わさず寿也の腕を掴むと、ぐいっと扉を開けて中に連れ込んだ。
楽器を持った部員が一斉にこちらを振り向く。
コントラバスをかかえた貫禄のある人物が、ため息とともにこちらを睨んだ。
「榎本! 指揮者が来ないと話にならんぞ」
「わーりぃわりぃ、ちょっとスコアとにらめっこしてたら時間わすれちまってよ。でもおかげで、見込み客一名
連れてきたぜ!」
榎本と呼ばれた先輩は悪びれもしなかった。
そして、部長だからって威張りすぎなんだよ千石は、とつぶやくと、
指揮台に上る前に寿也を隅の椅子に座るよう促した。
寿也はキョロキョロと教室内を見回した。
授業で使われた机はすべて教室の奥に積み重ねられ、
忘れ物の楽譜を、なんて言い出せる状況ではなかった。
壁に沿って並べられたいくつかの椅子には先客が数名いて、同じクラスで見た顔もあれば、
音楽科では見かけない顔もあった。
(どうしよう・・・オーケストラなんて初めてだ。)
管弦学部がこの学校で最も有名な部活動であることは、寿也も入学前から聞いていたが、
ピアノしか出来ない自分には縁のないところだと思っていた。
(こんなにたくさんの楽器があるんだ・・・)
ドギマギしながら、寿也は恐る恐る、腰掛けた。
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2009年1月30日
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