<海堂篇 7>
音楽室の横には、屋上へと続く階段がある。
校舎が高台にあるだけに、見晴らしがよく広々としたそこは、
オーケストラ部員たちが思い思いの時間を過ごす場所だった。
「ふう・・・」
休憩時間となり、寿也もそこにいた。
見晴らしのいい広い場所では数人の部員たちが談笑していたが、
寿也はひっそりと反対側の隅で一人風に吹かれていた。
すると、後ろから声がかかる。
「よお、おつかれ。」
振り返ると、薬師寺がいた。
寿也は苦笑する。
「・・・ごめん、最悪だったよね・・・。」
「しょうがねえよ。だれだってあんなもんだろ?」
初めての合奏は散々だったのだ。
テンポが合わない。
揺れるリズム。さらに、各パートの上級生が次々とダメだしをするので、
寿也はそれを修正するのが精一杯だったのだ。
途切れ途切れの演奏はまるで合奏にならなかった。
「自分なりに準備したつもりだったけど・・・。」
「いいじゃねーか。今がどん底ならあとは上がるだけだ。」
薬師寺は友の隣に並ぶと、ポケットからミントガムを出して手渡した。
ありがとう、と言って小さな包みを広げながら、寿也はまたタメイキをついた。
無謀な試みとはいえ、せいいっぱいの努力が報われなかったやるせなさに、
薬師寺も浮かない顔だった。
「俺はただ、がんばれよ、としかいえねえけど・・・」
薬師寺が口を開く。
「多勢に無勢だと思うなよ?お前が相手にしてるのは <ひとつの>オーケストラなんだから、
あんまり気負わないほうがいいぜ。」
屋上の柵に肘をついたまま、ぼんやりと空を見ていた寿也は、驚いて薬師寺を見た。
何かを感じたその様子に、薬師寺は即座に種明かしをする。
「なんてな!これ、コレ、眉村のウケウリ。本当はアイツからの伝言なんだ。お前に伝えてやれって・・・」
バツの悪そうな顔をして薬師寺は頭を描いた。
寿也は目をまるくしてから噴出す。
「はは・・・あははは。君も正直だなぁ。」
声に出して笑うと、素直に言った。
「でもありがとう。少し気が楽になったよ。」
「そうか。よかった。」
薬師寺が安堵の表情を見せる。
「どうせなら、眉村本人から聞きたかったなぁ。」
「アイツはあんまり面と向かってそういうことできる奴じゃねぇよ。」
優しい表情で語る薬師寺を見て、寿也は思ったままを口にした。
「眉村のこと、本当によくわかってるんだね。君たちって二人で一人みたいだ。」
ふいに薬師寺の顔が赤くなる。
「そんな・・・そんなことない・・・俺だってまだアイツのことなにも・・・」
何故こんなにもうろたえてしまうのか、薬師寺は自分でもわからないようだった。
だが寿也は当たり前のように続けた。
「どうして?君たちはとても仲がいいじゃないか。」
「仲が・・・って・・・ま、まあ悪くはねぇけど・・・。」
「そんな相手に出会えるなんて、うらやましいくらいだ。」
寿也の脳裏に、ふとアメリカに旅立った幼馴染が浮かんだ。
彼は今、どうしているだろう・・・。
そして寿也は、久しぶりに吾郎を思う自分に、新鮮な驚きも感じていた。
ただひたすらに彼だけを恋しがっていた頃とは明らかに違っている。
(少しは・・・前に進めたのだろうか?)
一方の薬師寺は、眉村と自分の親密さが他人に与える印象を真っ向からきいて、
すっかり照れてしまっていた。
「休憩終わるから、俺はもう行くぞ。」
強引に話を断ち切って、薬師寺は逃げるように立ち去った。
そんなに恥ずかしがることもないのに、と呟いた寿也は、
不思議そうな顔をしながら後姿を見送った。
微笑ましいくらいいつも仲睦まじげな彼らに、寿也はかつての自分と吾郎を重ねていた。
もしも吾郎がここにいたら、
きっと自分もあんなふうに笑えるのに、と、寂しく思うこともあった。
だが、いつまでも立ち止まってはいられない。
吾郎のためにも、寿也は新しい世界に挑戦したかった。
「友」と再会したときに胸を張れるように。
「友」として吾郎と堂々と渡り合いたいから。
もう一度眉村の伝言を思い出す。
「多勢に無勢じゃない・・・。ひとつのオケ・・・か。」
確かに、大勢の部員を相手に、たった一人で立ち向かっているような孤独感を感じていた。
あれほどの人数をまとめるには、自分はあまりにも非力だ。
薬師寺にもらったガムを口に放り込んだ。
ミントの香りがすぅーと広がり、鼻腔がくすぐられる。
と、同時に、寿也の脳裏にある言葉が蘇った。
___なあ寿、ピアノってな、オーケストラみたいなんだぜ?
かつて二人でピアノを奏でながら交わした会話の中で、
吾郎が楽しそうに言ったヒトコトだった。
空を仰いだ。
澄んだ青空に浮かぶ、力強い雲。
寿也は体に力がみなぎるのを感じた。
そうだ。吾郎君のピアノは、無数の楽器を抱え、多彩な音と表現を兼ね備えた、
一つのオーケストラのようだった。
あのピアノに憧れて、ここまできたんだ。
寿也は気持ちを新たに、もう一度音楽室に戻った。
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2010年1月22日
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