<第3章 最初の合奏>









「・・・・では、コンサートマスターは海堂の眉村君ということで決まりました。
それでは、各パートはそれぞれ教室でパートリーダーを決めてから、練習を行ってください。
午後から全体練習をこちらでやります。バイオリンパートは三階で、・・・」


一通り、各校代表と、指揮者、コンマス、ソリストの紹介が終わると、
進行を取り仕切る小森の指示で生徒がそれぞれの教室に別れていった。
まずは各パートで譜読みと練習をするためだ。


さっきまでのざわめきが嘘のように静まりかえり、ガランとした広い音楽室に、
指揮者とピアニストだけが残される。
入ってきたときからドアの前にずっと立っていた吾郎は、はじめて寿也に近づいた。


「よお・・・。よろしくな。指揮者くん」

「そうだね・・・・。いい、演奏にしたいね」


なんだかぎこちない空気が流れた。それに耐えられなくて先に折れたのは吾郎だった。
大きくため息をつくと、もう降参とばかりに両手を挙げて、冗談めかして笑った。


「いい加減冷たくするのも勘弁してくれよ・・。コンクールの時も、ちっとも話す時間ねぇし。
やっぱり、アメリカ行ったのまだ怒ってるわけ?」

寿也は少しムッとして吾郎を睨む。

「何を言ってるんだよ。君のキャリアのためには、行くのが当然だろ?
そりゃ、最初は少しさびしかったけど、僕はここでちゃんと音楽やってたんだ。
すばらしい仲間とも出会えたしね。その結果もちゃんと残ったから悔いはないよ。」



「悔いはないって・・やっぱり・・もう、やめんのかよ?」


こちらを真っ直ぐに見つめる瞳に、ふと寿也は昔の感情を思い出しそうになって、
慌てて目をそらした。


「吾郎君には関係ないだろう?僕は君と違って、才能なんかないしね。」


「そんな筈ないだろ!?うちの先生だって、お前のことは本当に・・・」

「ごめん、バイオリンパートの練習見てくる・・」


吾郎の言葉を最後まで聞こうとせず、寿也は無理矢理理由をつけて音楽室を出て行ってしまった。





海堂で、吾郎と共に音楽を志すという寿也の夢は、一方的に拒絶された。

幼い頃から、憧れ続けた天才ピアニスト。少しでも彼に追いつきたくて懸命に練習した。
寿也も音楽センスに溢れていたから、お互いの存在がいい刺激になったのは事実だった。

吾郎がいるからこそ自分の音楽があった。
彼の存在が自分にとって何なのかもよくわかっていた。
それは言葉にださなくても、触れ合わなくても、ピアノを奏でることで繋がっているのだと信じていた。
きっと、吾郎も同じように自分を思ってくれている、と。だから僕らは、いつも一緒にいられるんだと・・・。


(でもそれは、僕のひとりよがりだった、てことさ。)


入学当初、寿也は音楽を続ける意味を見失いかけていた。
唯一の居場所がオーケストラだった。こんな自分を指揮者として迎えてくれた仲間たち。
指揮の面白さに目覚め、寿也の才能は見事に花開いた。


それでも、寿也が吾郎を忘れることはなかった。音楽を続ける限り、忘れられないのだと、
コンクールの彼の姿を見て思い知った。

寿也の存在などなくても、太陽のように、燦然と輝く吾郎の音楽・・・。
それなのに、彼と共にまた音を奏でる日を夢見てしまいそうな自分が悲しかった。


仲間と共に、もう一度だけ舞台に立とう。そしてこれを最後に、この情熱のすべてを思い出にしよう。


そう、それだけだ。決して、君と演奏したいからじゃない_____。



階段を駆け下りながら、寿也は必死で自分にそう言い聞かせていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




午後になり、いよいよ始めての全体合奏となった。
再び音楽室に集められたメンバーたちは、いくぶん緊張の面持ちでチューニングを待っていた。
やがて、コンマスの眉村が立ち上がり、基準のAの音をオーボエからもらうと、静かに響かせる。
クラリネットからフルートへ・・・・木管楽器から金管楽器へと順に、淡々と一つの音が繰り返される・・・。


「あれ?茂野は?」
藤井がティンパニのスティックで、前に座るさっき知り合ったばかりの大林をつつくと、
やさしい顔をした大柄な彼は少しびっくりして振り返り、午前中の顔あわせだけで今日は終わりですよ、と言った。


「あぁ?何だよ。あいつのピアノ聴けるかと思って楽しみだったのになー」

「オーケストラがまだ曲にもなってないのに、ピアノソロと合わせられるハズないじゃないスか?」

相変わらずですね、というあきれ顔をしながら、大河が振り向く。
当然、口元に指を当てて、静かにしてくださいね、といわんばかりに。


チューニングはまだ続いている。
各楽器から同じ音が淡々と響くこの作業が、寿也はなんとなく好きだった。
しかし、今日は随分と、時間がかかっていないか・・・?




やはり、チューニングだけでかなり時間をとられてしまった。
海堂オケだったらほんの短時間で終わるはずなのに・・・。
ずっとAの音を弾いていたコンマスの眉村もさすがに機嫌が悪そうだ。


寿也は何か嫌な予感がした。


スコアをおいた譜面台から、オケ全体を見回してみる。
全員、緊張の面持ちで、寿也の指示を待っている。
(とにかく、やってみるしかない・・・)


「じゃあ、初めてだし、あまり気負わずに、はじめから通してみようか?
始めのピアノソロ部分は僕が歌うから・・・じゃ、行くよ?」



寿也のタクトが構えられる。ピアノソロのメロディーを口ずさむ。
1・・2・・・カウントを数える・・・・そして、弦楽のユニゾンから曲が始まる。


(う・・・思った以上に・・・まあ仕方ないか・・)


ピアノの旋律の抜けた、オーケストラだけの協奏曲・・・それだけでも何か物足りないのに、
この貧相な音程とバラバラのリズム感!! 
かろうじてつながる旋律はとても危ういものだった。
それでもかろうじて曲は進み、一番最初の主題の盛り上がりに差し掛かる・・・。


(・・え・・!)


テンポが合わずに崩壊していく旋律。
気がつけばメロディーも寿也のタクトも、まるで消えるように、止まってしまった______。


(どうしよう、いくら初見だからって・・・これは本当に仕上がるのか・・・?)



眉村も草野も薬師寺も、海堂の面々はあまりの出来に言葉がでない。

寿也の顔が青ざめた。




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