<第5章 不協和音>
「チェロバス、お互いの音よく聴いて!!スタッカートを大事にしよう。楽譜を良く見て!」
今日は午後から、初めて吾郎のソロと合わせるというのに、相変わらずオケがまとまらない。
寿也はいつになく焦り、指示する声にもやや怒気がまじる。
「藤井くん・・・だっけ? どうしてそんなに走っちゃうかな・・・」
毎回のように怒られる藤井は、その都度反省するのだが、どうしても時々妙な癖がでる。
藤井に限らず、このオケは癖のある演奏者ばかりで、3回目の全体練習でも、まだまだ全体のまとまりに欠けていた。
海堂の連中相手なら、こんなにも苦労しないはずなのに、と
寿也は改めて、自分の高校のレベルの高さを思った。
「話にならんな・・・」
眉村が憮然として弓を離した。
草野がそれに続く。
「大体、前回の練習からなんの進歩もないじゃないか。
譜面どおりに弾けもしないやつばかりで、どうやってこのラフマニノフの叙情的な部分を表現してくっていうんだ!?」
皆が黙り込む。
「・・・・譜面、譜面って、つまんねー演奏だよな。」
ぼそっとつぶやいた大河の言葉が、同じトランペットパートの海堂の三宅に聞こえてしまった。
「なんやて!? おもろないってそれどーゆーことや!!」
カッとなりやすいのか、三宅の声は全体に響き渡った。驚いて、皆が振り返る。
大河は内心、しまった、と思ったが、引くに引けなかった。
「だってそうじゃないですか。佐藤さんが曲を止めるたびに、次は自分が怒られるんじゃないかって、
みんな小さくなって下向いてますよ!指示も細かいし、これじゃ・・・・。」
「清水君!言葉が過ぎるよ!」
小森が毅然として止めると、大河もさすがにハッとしてすいません、と小さくつぶやいた。
(だって・・・あの人の指揮は、もっと・・・)
大河はうつむいたまま、コンクールを思い出していた。
音楽室全体に険悪な空気がたちこめる。
草野の言葉が最もだと思ってしまう寿也は、うまい言葉がみつからない。
その時、ドアが開いて吾郎が入ってきた。
急に皆が自分を見たので、びっくりした吾郎は、邪魔する気はないから続けてくれよ、と言った。
寿也は気をとりなおして、静かに言った。
「・・・清水君、君、まだ2年生だよね・・?勇気ある君のご意見はよく、わかったよ。でも、
基本的なことができなくては、演奏を楽しむことなんて無理だと僕は思うんだ。
皆にも申し訳ないけど、こんなレベルじゃとても人前で演奏することなんてできないよ。
まずはしっかりと譜面に書いてあることを自分のものにしてほしい。じゃあ、
もう一度頭から!」
演奏が再開される。しかしすぐにまた寿也が止めて、指示と激が飛ぶ。
「おい田代・・・」
なにやら妙な雰囲気に気づいたのか、吾郎は近くにいた田代に小声で事情を聞いてみた。
「・・・ま、そんなとこだ。」
周りをうかがいつつ、田代がため息交じりで説明すると、
吾郎は指揮台に立つ寿也をジッと見つめた。
さっきから首を横に振ってばかりいるその額には、
焦りと怒り、そして必死さゆえに、うっすらと汗がにじんでいた。
「だめだよ!だからここは・・・」
「そんなにピリピリすんなよ。俺のソロでなんとかすっから、
もう少し気楽にやらせてやったほうがいいんじゃねーの?」
思わず見過ごせなくなって、吾郎はついに口を挟んでしまった。
寿也は苛立ちを隠せない。
「申し訳ないけど、今はオケの練習中なんだ。午後には君のソロと合わせるから、
今は黙っててもらえないかな。」
「わりーけど、そんなチマチマした演奏じゃ俺だって曲になんねーよ。」
「だから懸命に練習してるんだよ。! 伴奏だからって手はぬけない!」
「伴奏じゃねーよ!協奏曲だろ?一緒に演奏するんだろ?!!」
もどかしくなって吾郎はつかつかピアノに近づき、椅子に座るとそのふたを開いた。
「何をするんだよ。君が弾くのは午後からだよ!」
「固いこと言うなって。とりあえず合わせてみようぜ。」
吾郎はそう言うと、軽やかに指慣らしの音階を弾いた。
まるで嵐のように、急に音楽室に響きわたるグランドピアノのスケール音。
「みんな急に悪いな!よろしく頼むぜ!指揮者をしっかり見て、
そして俺の音もよく聴いてくれ!ちょっとくらいバラバラだっていい。
自分の音をちゃんと出して、楽しむ気持ちを忘れずに、な!。」
そして寿也に向かって挑戦的な目で、行くぜ?と言った。
寿也はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりとタクトをかまえる。
「・・・・そこまで言うなら・・。やってみよう。」
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