<第6章> 情熱






皆、演奏しながら、吾郎のピアノに圧倒されていた。




(どうして・・・?さっきまでとまるで違う!!)

指揮する寿也は驚いていた。吾郎のピアノは、想像以上だった。
激しく、力強く、そして心に響く旋律・・・自然と、オーケストラをひっぱり、演奏がまとまっていく。

なによりも・・・

(心地いい・・・)



彼のピアノに寄り添うように、オーケストラ全体がまるで舞うように・・・。



気がつけば、止まることなく、一楽章が最後まで通された。


演奏が終わると、吾郎は、けっこういいじゃん、と軽く笑う。
久しぶりに通しで最後まで弾ききった満足感からか、オケのメンバーたち皆、笑顔だった。


一方、寿也はただ呆然と、指揮台に立ち尽くしていた。


(やっぱり、君にはかなわない・・・)

ちょうど昼休みの鐘が鳴ったので、寿也はホッとして、午後の練習の開始時刻を告げると、
誰とも話さずに何処かへ行ってしまった・・・。




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「やっぱすげーーよーー!なあ、薫ちゃん!!あいつは天才だよ!」
「こら藤井、あんまり騒ぐなって。」

昼休み。日曜日のからっぽの教室でランチを取る聖秀高校メンバーは、
午前中の吾郎の演奏を誇らしげに語っていた。

「指揮者の顔みたか?すっかりやられたって顔してたぜ。」
「ざまあねーな。」
「そんなこと言ったら失礼ですよ、藤井先輩。佐藤先輩の指揮だってすごいんですよ?」
 
「あーあー、鈴木さんは佐藤さんファンだもんなー。」
「ちょ、ちょっと、清水君!?」

まだ興奮さめやらぬ彼らの元に、薬師寺がやって来た。

「失礼する。うちの佐藤、見なかったか?」

一同が揃って首を振ったので、薬師寺はすぐに教室を出て行った。


「全く・・・どこ行ったんだ?」


(佐藤ほどの奴だから、落ち込んでるとも思えないが・・・)
さすがに、さっきはプライドが傷ついたのではなかろうか、と、
薬師寺はほんの少し、心配していた。
しかし、屋上でみつけた寿也は、何故か清清しい顔をしていた。

薬師寺は、とりあえずホッとすると、先ほどの演奏のことには触れず、事務的な連絡をひとつふたつ伝え、
午後の練習もよろしくな、とだけ言ってウーロン茶を差し出し、その場を去っていった。


寿也は一人になりたいと思っていた自分の気持ちを汲んでくれた彼に感謝しつつ、
渡されたペットボトルの冷たさで、自分を落ち着かせていた。



吾郎のピアノであそこまで全体がまとまったことに悔しさはあったが、
久しぶりに、全身で音楽に包まれた爽快感があったことも事実だった。


ふと見上げれば空がまぶしく輝いている。
自然と、笑みがこぼれる。


(僕は一体、何に挑んでいたんだろう・・?)


先ほどまでのイライラした気持ちは、いつの間にかどこかに消えていた。
ゆっくりと空を仰げば、吸い込まれそうな雲と雲の隙間から、
かすかに何かのメロディーが聴こえるような気がする。


そう、これは・・・なんの曲だったか・・・。


自然と、口ずさむその曲は、吾郎と幼い時に弾いたあの時の・・・。


右手のメロディーを思い出しながら口ずさんでいたら、どこからともなく、
左手の旋律のハミングが聴こえてきた。低音で、かすかに響くこの声は・・・。



「―――――え!?」



驚いて振り向くと、そこにはやはり吾郎の姿。
彼は少しバツの悪そうな顔をしていた。

「・・・なんか、悪かったな・・。」


人差し指で鼻の頭掻きながら、時々こちらを伺うようなその姿は、
まるでいたずらが見つかった子供のようだった。寿也は、よく言うよ・・と思いながらも、

「僕の負けだよ。君にはかなわない・・・。また一段と腕をあげたんだね。」

と言ってため息をついた。

「別に勝負したわけじゃねーだろ?俺は、ただ・・・つまり・・・」

吾郎は声を荒げながらも、もどかしげに次の言葉を探す。そんなつもりはなかった。
あんなに辛そうな指揮をする寿也を見たくなかっただけだった。それなのに、
自分の行動がまた寿也を傷つけたのではないかと、気が気でならなかったのだ。

そんな吾郎の気持ちには気づかずに、寿也は平然として言った。

「わかってる・・・。負けたなんて、冗談だよ。
 音楽に勝ち負けなんかないって、いつも言ってたのは君じゃない?」


その言葉にハッとする吾郎。


「・・・覚えてたのか・・?」


「・・・思い出したのは、さっきだけどね?」


そういうと寿也は、午後の練習はもっとまとめてみせるよ、と笑った。
久しぶりに見る彼の笑顔が、吾郎にはとてもまぶしく、美しく感じられて仕方なかった。
寿也は、傷つくどころか、ちゃんと何かを掴んでいた。
吾郎は思い上がった自分を少し恥じた。


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午後になる。
何事もなかったかのように合奏が始まる。
でも寿也は晴れ晴れとしていた。


吾郎に負けたくなくて、海堂のプライドを掲げて、ムキになって・・・。
そんな自分のタクトから、一体何が生まれるというのか。


寿也はただ、今そこにある音楽を感じていた。感じるままの旋律に身をまかせ、
一人ひとりの音に耳を傾ける。何よりも自分の内から沸きあがる情熱を
もう迷うことなく開放した。
それは、昔、吾郎が教えてくれた、何よりも大切なこと_______。


その指揮はやさしく、優雅で、誇り高いものだった。


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「アイツの指揮、変わったな・・・。」


譜面台を一つ一つ片付けながら、眉村が薬師寺にぼそっとつぶやいた。


「俺は、細かいことはわからねーが、吹っ切れたかんじはあるよな。」


それが、海堂のメンバーの音すら変化させていることに、二人は少なからず驚いていた。
今まで感じたことのないような、自由な雰囲気。まだまだ荒削りではあるが、
回を重ねるごとに、少しずつ、オーケストラがまとまりはじめた。




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