<第7章  思い出>












「きゃーそれってすごいですぅ」
「でしょでしょ??私本番当日、自分のステージ忘れそう!」

いつになくにぎやかにはしゃいでいるのは、中村美保と、鈴木綾音の聖秀のフルート女子二人組みだ。


「何をそんなに喜んでるんだ?」
田代の問いに、中村が一枚の紙をみせながら興奮気味にまくしたてる。



「音楽祭のステージよ!!ゲストに、すっごいフルート奏者が来るのよーー」
「あのJrですよ!!!」

「誰だそれ?」

「ええ!?藤井先輩知らないんですかぁ!?
ニューヨークフィル常任指揮者にしてピアニストのギブソン氏の息子ですよーーーー!?」

「俺が知るかよーー!」
「お前、ギブソンくらい知ってるだろ普通・・・。」



音楽祭まであと二週間。
いよいよ迫り来る本番のステージに、いつになく練習にも力が入る。
初めはどうなることかと危惧されたこの合同オケも、練習を重ねるごとに、少しずつ、
形になり始めていた。寿也の指示はあいかわらず厳しいが、限られた時間の中で、
それぞれのプレーヤーをできるだけ尊重しようとしていた。
その姿勢に刺激され、おのずと個人個人の練習にも力が入る。
時折笑いもおこるような和やかな時間すら生まれ、結果、譜面上の課題も次々クリアできていた。


もう少しで、完成する・・・。


そんなある日の出来事だった。


「ワリイ!どうしても譲れねー。」


「ダメだよ、そんなテンポじゃみんなついていけない!
 いくらなんでも速過ぎる。」


眉村も草野も寿也を援護する。

「走りすぎだ。」
「それじゃ作曲者の意図と外れるだろう?」

イライラしている吾郎は二人をキッと睨む。

「俺の弾きたい様にやらせろよ!!」


先ほどから、指揮者とソリストが真っ向から対立していた。
3楽章の出だしの歌い方がどうしても食い違う。
吾郎がありえないようなテンポで弾こうとするので、どうしてもオケと合わないのだ。


「協奏曲だから、一緒に演奏するんだと言ったのは君じゃないか。」


「うるせーな主役はピアノだ!どうしてもっつーなら俺降りる!」

はき捨てるように叫ぶと、吾郎は鍵盤ををダンっと鳴らして音楽室を
飛びだしてしまった。

「なっ・・・。」

寿也もメンバーも皆、あきれて言葉を失った。まるで駄々っ子じゃないか・・・?
せっかくまとまりつつあった演奏は台無し。

「でたよ・・。これだからアメリカ帰りは・・・。」
「天才ってのは、わがままなものなのかねー。」


ここぞとばかりに、海堂メンバーが憤慨する。
それをやさしく制すると、寿也は、僕が話し合ってなんとかするよ、と言って
その日はパート練習に切り替えた。




・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




何年ぶりだろう?
吾郎の家を訪ねるのは。

「・・・よお。」


仏頂面で現れた、アメリカ帰りの天才ピアニストは、意外と素直に指揮者を家に上げた。
門前払いも覚悟だった寿也は少しほっとして、少し緊張しながら大きな家に上がった。


「へ・・・え、変わってないんだね。」



茂野邸は、ピアノ教室を兼ねていた。一階にはピアノだけ置いた小さな部屋がいくつかあり、
小さい頃、いろんな部屋に入りこんで、かくれんぼしては怒られたっけ、と、寿也は思い出しながら微笑んだ。

ピアニストだった吾郎の実父は、師弟関係にケジメをつけたい、と
親友であり同じくピアニストである茂野氏に息子の音楽教育をまかせていた。
だが本田が若くして病気で亡くなると、吾郎は茂野の養子となったのだった。



玄関前の大きな階段を上がり、一番広い部屋に通された。
ここは、リハーサルやちょっとしたコンサートもできそうな空間で、
客席用のいくつもの椅子の正面に、特別美しいグランドピアノがおいてあった。


「茂野先生は・・?」

「出かけてる。なんでも音楽祭のスーパーバイザーだとよ。」


ふとピアノを見れば、ラフマニノフの譜面が無造作に置かれている。
開いているのは、やはり3楽章のページ。


寿也は、時間もないので単刀直入に本題を口にした。


「吾郎君、ソリストとしての君の気持ちも尊重したいけど、僕たちにも限界があるんだ。」


「・・・わかってるよ。俺も大人気ないとは思ったよ・・・。カッなって悪かった。」


やけに素直な彼に、だったらなんであの場で機嫌なおしてくれないんだよ、と、
ちょっと困った顔をする寿也。


「すまない・・・。俺、どうしても、ここは、こうやって弾いてみたかったんだ。」

そういうと、吾郎はローボードの上の写真を慈しむように見つめながら言った。
その視線の先を見て、寿也はハッとする。


「もしかして・・・?」

「ああ。・・・おとさんが、最後に弾いたんだ。こうやって・・・。
亡くなる、1ヶ月前だったよ。もう、弾けないと思ってたのに・・・。」


ピアニストとしてこれからというときに、病に倒れた彼の実の父親が、
渾身の想いをこめて吾郎のためだけに弾いた曲_______それがラフマニノフの
ピアノ協奏曲2番だった。


「もちろん、今回のコンチェルトは俺なりの作品にしたいと思う。
ただ、3楽章のここを弾くと・・・・俺はどうしてもあの時のおとさんを思い出しちまうんだ。
まるで、神への挑戦のような、天に召されることへ抵抗するかのようなあの姿を俺は忘れられない。
おとさんのためにも、そして、俺自身がおとさんを超えるためにも、
どうしても、こうやって弾きたいんだ。
寿也にだけは、わかってほしくてさ・・・。」



こんなに静かに、二人で向き合うなんて、何年ぶりだろう?



しばらく会わないうちに、背が伸びたのか、逞しい体つきに見とれそうになる。
肩越しに映える窓からの光が、彫りの深い顔を際立たせ、まるで神話の神が舞い降りたような錯覚に陥る。


真っ直ぐな瞳で見つめられ、寿也はふいに胸の鼓動が早まるのがわかった。


「いいよ。わかった・・・。」


寿也は、自分を信じてくれた吾郎がうれしかった。
そして、彼との共演に、自分がどれほど強い思いを抱いているか、はっきりと自覚したのだった。

君と、最高のステージを作りたい____。
君が君らしく演奏するために、僕ができることならなんでもやろう。


「じゃあ、もう一度そのテンポで弾いてみて!」
「ああ。」


寿也は譜面をめくり、吾郎は3楽章を弾き始めた。
時に激しく、時にやさしく、ピアノの旋律はいつまでも途切れることはなかった。





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