<第9章> 同じ道
いよいよ、音楽祭本番を明日に控えた日。
今日は会場でGPと呼ばれる本番どおりの通し練習が行われた。
あの日から、寿也は吾郎を避け続け、二人は挨拶程度しか言葉を交わしていなかった。
オケの前ではもともと親密だったわけではないので、二人の間に何かあったとは誰一人気づかなかった。
二人の感情のズレとは裏腹に、曲そのものは、不思議と完成されつつあったからである。
危惧されていた3楽章の冒頭部分も、ちゃんと形になっていた。
会場である横浜シンフォニーホールは、ヨーロッパの由緒ある楽団が日本公演を行うほどのりっぱなホールである。
当然、収容人数もかなりのもので、舞台上から望む客席の数とその奥行きに、
まだ高校生であるメンバーたちはすっかり圧倒されてしまった。
会場の外は、夕方とはいえ、日中の蒸し暑さがまだ残っている。
「やっぱすごい会場スね・・・。観客で埋まる光景考えただけで震えますよ。」
無事にGPを終え、聖秀代表としてステージマネージャーの仕事をこなした大河は
安堵のため息とともに小森に話しかけた。
二人は先ほどまで最終打ち合わせに参加していたのだった。
「そうだね・・。でも海堂の人たちは、サントリーホールで毎年定演やってるから、
そんなに緊張しないかもね。うらやましいなあ・・・。」
「うへ!サントリーですか!?すげーなぁ・・。想像つかないっスよ!」
そこへ吾郎がやってきた。
「本田くん!?まだ会場に残っていたの?明日本番なのに大丈夫?」
「おう、こーもリン。おつかれさん。 お前練習もやりながらいろいろこなして、
頭下がるぜぇ!!全く。」
やたら明るく、ハイテンションで小森に笑いかける吾郎の様子が、大河はこのところ妙に気になっていた。
「センパイ最近何かありました?」
「あ?何がだよ?」
「なんか、元気ない・・ていうか。」
「てゆーかって、お前!俺のどこが元気ないんだよーー?」
「いてててて!やめてくださいってば!」
悲しいくらいの空しさと、それがわかってしまう自分がやるせない大河だった。
「ああ、そうだ、お前らに先に礼を言っとくわ。このステージで共演できて、
ホントによかったぜ。」
「やだなあ、本田君、まだ終わってないよ?」
「ん。わり、ちょっと状況が変わってさ、明日の本番のあと、忙しくなりそうなんだ。
伝えられる奴にはさきに、な。」
楽しかったぜ、と言って笑う吾郎を、遠くから呼ぶ声がした。
そのまま、二人に別れを言うと、吾郎は呼び声のしたほうに向かう。
そして背の高い金髪の青年とタクシーに乗り込んで行った。
「・・・あれは・・?」
「わ、すげ。ギブソンjrだ!」
「そういえば、アメリカでの本田君の師匠って、彼の父親のギブソンだったって聞いたことあるなあ。
さすが本田くん、知り合いなんだね・・。やっぱり、音楽祭終わったらアメリカに戻っちゃうのかなぁ・・。」
こちらを振り返りもう一度手を振る吾郎を、大河は複雑な気持ちで見送った。
・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「相変わらず無機質な街並みだな。」
タクシーの中で、jrはその美しい髪を無造作にかきあげると
少しイライラした様子で窓の外を眺めている。
「・・・で?マエストロの・・・先生の容態はどうなんだよ?」
「心配するな。いつもの発作だ。ただ・・・やっぱりお前には早く戻ってほしいらしいぞ。」
「・・・そうか。」
「日本でやり残したことにケリはついたのか?」
「・・・・まあな・・・。」
「じゃ、今度のピアノコンクール、ちゃんと出るんだな?
俺はお前のマネージャーでもなんでもねーから、知ったことじゃないが。
だが、それがどれくらい大事なことか、お前だってわかってんだろ?」
吾郎はこぶしを額にあてて、気のぬけた声でああ、と言った。
そしてジッと前を睨みながら、それ以上何も言わなかった。
ほどなくして、車はjrのステイ先である、都内の大きなホテルに到着した。
「ゴロー、一杯やらねーか?」
「いや、明日本番だからな。」
「お前にしちゃまじめな発言だ。 明日は俺のステージがメインだろ?」
「おいおい、言ってくれるねぇ。お前のフルートは所詮、俺らの前座だろ!?」
吾郎が少しだけ、笑顔を見せた。それを見届けると、jrは急に安心したように、
あんま無理するな、と言って車から降りた。
(ちっ・・・柄にもねーこと言うなよな。)
遠ざかるりっぱなホテルの影を見ることなく、吾郎は一路自宅へとタクシーを
走らせた。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一方、寿也は、海堂の面々と寄り道したコーヒーショップで一人物思いにふけっていた。
「・・・・おい・・佐藤!」
自分を呼ぶ薬師寺の声にハッとして、寿也はあわてて立ち上がる。
「どうしたんだボーっとして。俺らはもう行くぜ。」
「あ、うん・・・。僕も行くよ・・・。」
慌てて飲みかけのカフェオレを片付けようとする寿也の
様子にため息をついて、薬師寺は寿也の肩に手を置いた。
「・・・まだ飲み終わってねーじゃねーか。も少しだけ付き合ってやるよ。」
そう言って、薬師寺は他のメンバーに先に帰るように言うと、寿也の席に座った。
寿也は、先ほどまで自分の前を並んで歩いていた恋人たち__薬師寺と眉村の後ろ姿を思い出していた。
「・・・・・・薬師寺。 やっぱり眉村とは別れるの・・?」
急にそんな話題を振られて、思わずアイスコーヒーを吹きこぼしそうになった薬師寺は、不満たっぷりに寿也を睨みつけた。
「・・・・・いきなり何だ?俺らのことには口出ししない約束だろ?」
「ごめん・・・。」
「そもそもお前には関係ないだろう?・・・って、おい!!
きいてるのかよ?」
話を振っておきながら、心ここにあらずの様子の寿也に、薬師寺はいつもとは違う
何かを感じて、小さなため息をついた。そして、話して楽になるなら全部きいてやる、と椅子に座りなおした。
寿也はそんな彼のやさしさに甘え、ぽつり、ぽつりと、話し始める。
進路について迷ってる・・・・そんな話だけ聞いてもらえれば、と思っていたのに、気がつけば吾郎との事を話してしまった。
ずっと彼を慕っていたこと。突然一人になったこと。そして、彼に告白されて拒絶してしまったこと・・。
薬師寺はただ黙って話をきいていた。
一通り話して、少し落ち着いた寿也に、 薬師寺ははっきりと言った。
「逃げんなよな。」
寿也はカッとなって言い返す。
「逃げてなんてないよ。」
「俺は・・・眉村に惚れた事何一つ後悔してないぜ。」
カラン、と音をたてて、解けた氷がグラスの中で揺れた。
薬師寺の声が、少し震えたような気がした。
「俺の夢は今でも変わらない。判事である親父を超えるような弁護士になることだ。
だからアイツと俺の道は、最初から違ってた。」
少しうつむいている薬師寺の表情は、長い前髪に隠れて寿也からは見えない。でも、切ない心が、痛いほど伝わるようだった。
「佐藤は・・・・これから先、奴と同じステージに立つことができるんじゃないのか・・・?」
「簡単に言うなよ。僕と吾郎くんじゃスケールが違うんだ。」
「そう思ってるのはお前だけだ。」
「いまさら僕は・・・。」
「明日は、いろんなお偉いさんだの、著名な音楽家たちも見に来るって話だぜ。
まだまだ、お前にも進むべき道が残されてるってことだろ。」
「・・・・薬師寺?」
「いいから、今は明日の本番のことだけ考えろ。明日の演奏を全力で成功させたとき、
何か答えがみつかるんじゃないのか?
あのソリストのことも。この先のお前の道も。」
薬師寺の言葉が胸に響いた。薬師寺が、将来についていつも熱く話していたのを思い出す。
恋した相手があのコンマスでなければ、薬師寺は今頃、可愛い彼女と仲良く予備校に通っていたかのもしれない。
寿也は心から彼に感謝の意を伝えると、薬師寺は照れかくしに悪態をついて
足早に店を出て行った。
結局飲まなかったカフェオレはすっかり冷めていた。ほどなくして、寿也もゆっくりと
立ち上がり、店をあとにする。
そして唇をかみしめると、しっかりと顔をあげて、星が瞬き始めた空の下を歩き始めた。
第10章へ
back to novel menu