Winter in N.Y    
<4>





夕暮れ時になって、ようやく薬師寺はホテルに戻ってきた。
眉村は黙って彼を迎え入れた。

「寒かっただろ?」
「・・・・・・」
「飯、食ったか?」
「・・・・・・いや。」


力なく笑う薬師寺を見て、眉村は備え付けの電話でルームサービスを注文する。
何事も無かったかのように、部屋で軽い食事を済ませた二人だったが、
その後は言葉を交わすことなく互いに背を向けて、眠りについた。



明け方近い時刻になった。
冬の空はまだ真っ暗だ。
薬師寺はスーツケースの蓋を閉めると、コートを羽織る。
外は一段と寒そうだ。眉村は小さな寝息をたてている。
彼が起きる前に、旅立つつもりだった。



今の自分は彼を抱き寄せて口付けたいのだろうか?
ニューヨークの街を彷徨いながら、一人自嘲した。
たったひとつわかったことは、
それでもこの男を大切にしたいという自分の心だった。



恋人と呼べる頃は確かに楽しかった。
と、同時に苦しかった。
いつまで幸せでいられるのか。
このままずっと二人で一緒に歩いてゆけるのか。
共に過ごす悦びと対にある、道ならぬ情事の禁忌に悩む日々。
終わりを恐れながら、心のどこかでそれを望んでいた。
結局、終わらせたのは眉村だったが、原因は己にあると思った。


だが、失って初めて、薬師寺は気付いたのだ。
どれほど眉村が大切な存在だったか。
そして、許されざる恋の呪縛から解き放ってくれたその心を。
眉村が自分のためをおもって距離を置いたのだと理解した時にはもう、
彼は違う恋に踏み出していたのだ。


薬師寺は二人が良い方向へ進むよう出来るだけ力になろうとした。
病弱な母親を気遣う眉村に、シーズン中に結婚宣言したっていいだろ、と
さりげなく背中を押してやった。
監督と教え子という関係に、世間の風当たりが強くても、
マスコミの取材に対して好意的なコメントを寄せては、彼らを祝福した。


眉村が陽のあたる場所で掴んだ幸せは、薬師寺の本望だった。
これもひとつの恋の形だと、薬師寺は思っていた。
なんとしても、守らなければならない。


薄暗い光の中で、薬師寺の表情が引き締まった。
静かに立ち上がる。
音を立てぬよう細心の注意を払い、扉に近づいた。
その時、後ろで衣擦れの気配がした。


「フライトは夜だろう?」


振り返るといくらなんでも早すぎる、と言いながら眉村が立っていた。
ホテルのロゴが入ったローブをきっちりと着て、こちらを睨んでいる。
薬師寺は落胆の色を隠せない。

「一人で行きたいところがあるんだ。」

見え透いた嘘をつく。
眉村はため息をつく。
やがて、わかった、と言うとあきらめた顔でドア前までやってきた。
右手が差し出された。

「悪かった。おかしなことを言って。」
「いや。」
「じゃ、また、日本で会おう。」

二人は握手した。
それは何の変哲も無い、友としての別れの儀式になるはずだった。


なのに。


離れられない。


引き寄せてもいいのか。
引き寄せられたいのか。


戸惑いながら、握り返す薬師寺の右手。
手首が返されそっと引かれる眉村の身体。

ゆっくり。ゆっくりと距離が縮まる。


視線は肩越しに、何かを見ているようで何にも見えない。
五感は、わずかに重なりあう体温だけに集中する。


懐かしい香り。
温かな匂い。


小さな漣が胸に広がった。それは、忘れていた鼓動。
でも、緊張感とは違っていた。
封印していた気持ち。抑えていた慕情。
すべてがあふれ出す。

薬師寺の手は眉村の腰を強く抱き、
眉村の腕は薬師寺の背中できつく交差した。
体を離し、見詰め合う。
突如襲い掛かる甘美なときめき。


もう抗えなかった。



薬師寺がそっと顔を近づけた。
眉村の目が伏せられる。
閉じたままの唇が一瞬触れ合い、離れる。
次に重なった時にはもう、隙間からこぼれる熱を奪い合う。
激しいキスになる。

「お前が欲しい。」

眉村の悲痛な叫びが闇に溶ける。

「言うな・・・・・」

遮るようにまた口付ける。
荒くなる息遣い。暗い情欲。


目の前に、愛する人がいる。
手を伸ばせば、ひとつになれる。
今このひと時が過ぎれば、二度と叶うことはない。


その誘惑に勝てる人間などいるのだろうか?





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