パラレルstory
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〜はじまりの雨〜
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眉村はいつも一人で店に来る。他の客がいるときは無口だったが、
薬師寺相手には、少しずつだが話をするようになった。
それでも、薬師寺が眉村について知りえたことはあまり多くはない。


海外赴任から帰国したばかりの一流商社マン。
ここではじめて飲んだシングルモルトが気に入ったらしく、
いつもそれを片手にカウンターの端に座り、ただなんとなく、過ぎ行く時を眺めている。
そんな彼に、薬師寺は無駄に話しかけることはなかった。
たとえ、常連客がにぎやかに過ごす夜でも、二人の間には、心地よい静寂があった。


そんなある日。


「しばらく、来られないと思います。」

「そうですか。またお待ちしていますよ。」

勘定を終えて、席を立った眉村の言葉に、薬師寺はひどく落胆している自分に気付いたが、
いつもどおりの笑顔で見送った。
眉村は、何かいいたげだったのだが、ちょうど他の客が入ってきたので、
そのまま言葉を発することなく、扉の向こうに消えた。


彼が言ったとおり、しばらく店で眉村を見ることはなかった。


そんな彼が、閉店間際の店にやってきたのは、それから三週間もたった頃。
めずらしく随分と、酔っていた。


「いつものものを・・・・」
席に座るのもやっとの様子だというのに、強いストレートのモルトなどだせるわけがない。
薬師寺は、さりげなく、まずは軽めのものではいかがですか?
と、弱めのカクテルを作り眉村に差し出した。
彼はそれに二、三口ほど口をつけると、あろうことかカウンターに突っ伏して動かなくなってしまった。

「こいつ、つぶれるなんて珍しいな」

たまたま来ていた高校時代の友人は、ラムコーク片手に上機嫌だ。
眉村とは何度か居合わせていたが、会話する仲ではなかった。

「なあ薬師寺、たまには飲みにいこうぜ!もう終わりだろ?店」

「悪いな。今日は無理だ。お客さんが帰るまで、店は終わらないんだよ」

「なんだよ、つまんねーな。じゃ、俺はプレゼンの準備でもすっかな。」

がっかりした友人はそのままじゃあな、といって店をでた。



あとに残された薬師寺は、いつまでも動かないスーツ姿の眉村を見てため息をついた。
この二人だけの空間に少し戸惑っていた。



閉店の作業を終え、薬師寺が一服していてもまだ眉村は起きない。




さすがに困ったので、カウンターを出て眉村の席へ近寄り、大丈夫ですか、と声をかけてみる。
びくともしない彼の肩にそっと触れて、もう一度声をかける。


眉間にしわをよせ、小さなうめき声とともに、切れ長の目が開いた。
勢いよく顔を上げ、自分の状況を把握した彼の顔が赤くなっていた。

普段の彼とは違う、その表情は、まるで自分を惑わす魔法のようだと、薬師寺は思った。
いつもの優雅な物腰と、洗練された所作にも惹き付けられたが、
たった一人で何かと戦っているかに見える、孤高の眼差しが気になって仕方なかった。
時折すこし寂しげなその瞳がこちらを見るとき、何故これほどまでに胸がざわめくのか。
薬師寺は、胸の奥でなにかが大きく弾けたような感覚に襲われた。



過去に付き合った女性は何人かいた。店で女性に言い寄られることもある。
そして、めったにはないが、男に好かれたこともあった。
そんな世界を否定はしないが、自分から興味を持つことなどなかったのに。
今この瞬間、昔、自分を抱きたいといった年上の雇い主の言葉が脳裏をかすめた。
あの時は何故そんなことを言い出すのかと理解に苦しみ、
結局その店をやめざるを得なかったことを思い出して苦笑した。なんのことはない。
そこにあるのはただ、愛しいものを「欲しい」と思う、自己中心的だが普遍的な願望だけだ。


手を伸ばし、少し色白の美しいその頬に触れてみた。
眉村はすこし目を見開いただけで、その視線は酒のせいで定まらない。今目の前に
いるのが誰なのか、ぼんやりとしか見えていないのだろうか?



薬師寺は、視線をあわせたまま、そのまま首の後ろに手を回すと同時に、ゆっくりと・・・顔を近づける。

(・・・・何故拒まない?)

そのまま唇が触れ合っても、眉村は為されるがままだった。
薬師寺はまるで試すように、もう一度、今度は少し強く唇を押し当てる。
そして僅かに開いた隙間から強引に舌を滑り込ませた。


舌先に相手の歯を感じ、その奥のやわらかな感触に触れた。
だが、その甘さに酔う間もなく、顔を背けた眉村の右手が、薬師寺の頬を殴った。



我に返ったのは薬師寺も同じだった。
一万円札を無造作にカウンターに置くや否や、足早に眉村は出て行く。

扉がゆっくりと閉まるのを見て、今度こそ、もう二度と彼はここには来ないという、
その現実に打ちのめされた。




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