パラレルstory
< Bar Third 〜はじまりの雨〜 > 3
大
次の日、いつもの客から、なんだか元気がないと言われても
薬師寺はごまかすように笑うしかなかった。
何故あんなことをしてしまったのか。ずっと後悔していた。
しばらく会えなかった眉村が店に現れたとき、自分はこれほどまでに彼を待ちわびていたのかと
グラスを持つ手が震えていた。
目の前で無防備な姿を晒されて、歯止めがきかなくなった自分をひどく恥じた。
そして、上客が一人減っただけだと思い込み、薬師寺はただ、仕事に打ち込んだ。
酒の品揃えを増やし、珍しいリキュールや、ビンテージ物のモルトやワインも買い付けた。
少し大げさだったシェイカーの振りを控えめにし、その分、グラスに注ぐ時のスピードを上げた。
注ぎ終わる瞬間まで微動だにしないのに、最後はまるで刀を抜くように鮮やかに空を斬る。
静と動がおりなす美しい一連の所作に、客の誰もが見惚れるようになった。
だが、やがて口コミで客も増え、どんなに店が華やかになっても、このバーテンダーが、
今までなかった一抹の寂しさを抱えていることには、誰も気付かなかった。
薬師寺は店が終わってからも、カクテルの練習にいそしんだ。
シェイカーではなく、ミキシンググラスに入れたドライジンとドライベルモットを静かにステアする。
ゆっくり。ゆっくりと。
心を落ち着けるかのように、氷とアルコールが馴染むのを待つ。
グラスに注ぎ、オリーブを添えた。レモンピールを上から飛ばし香り付けする。
出来上がったマティーニを、いつも眉村が座っていた席にそっと置いてみる。
そこで初めて、薬師寺は彼を想ってそれを作っていたことに気がついた。
「・・・・馬鹿馬鹿しい。」
薬師寺はそれを一気に飲み干した。
その味には思い描いたようなバランスはなく、ドライな刺激だけが喉を通り越していく。
何度試しても納得のいく味が出せないことにイライラした薬師寺は、
思わずグラスごとそれをシンクに投げ入れた。
四角いステンレスの中で粉々に割れたクリスタルの破片は、
まるであっけなく散っていった、恋とも呼べぬ自分の心。
何故か笑いがこみ上げる。彼は日の光の輝く下で働く一流のエリートだ。
あんなことがなくても、水商売の自分が相手にされる筈はない。
ましてや自分は男なのだ。どうかしている。
そして、いつも緊張の糸を張り詰めているような彼の傍で、
その羽を休ませてやりたいと思うことすらもう許されない。
だが・・・。
薬師寺は思った。
_______そうではない。
一人で店を始めてから、夢中で走ってきた。
毎晩、客と話すのは楽しく、充実していた。
だから気付かなかった。寂しさを抱えていたのは眉村ではない。
この店で彼が安らげるようにと願いながら、彼の存在に甘えていたのは
他でもない。自分なのだ。
虚しさに襲われて、すぐに破片を拾い集めた。
割れたガラスの破片と共に、全部捨ててしまえばいい。
グラスを捨てに表にでようと、薬師寺が扉をあけるとそこに眉村が立っていた。
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