<歪み>
「お館さま!!」
二ヵ月後、決戦を待たずして、和議の申し入れを受理した寿也は、
吾郎に報告すべく城内を足早に駆けていた。
長きにわたる抵抗を続けた北の国を、その手中に収めたのである。
「おう、寿也か。」
「おめでとうございます。遂に天下は吾が君のものに。」
恭しくひざまずいた寿也を筆頭に、その場にいる家臣すべてが、吾郎の前に平伏した。
そして家臣皆が口を揃えて「上様」と吾郎を呼んだ。
広いこの国の頂点に、茂野吾郎が君臨した瞬間だった。
「大儀である」
「・・・・・吾が君・・・?」
夢を叶えた筈の、主の表情に覇気が感じられないのは気のせいだろうか?
だが、喜びという名の感情が寿也の懸念を吹き飛ばす。
「……今宵は、祝宴じゃな」
「はい!」
吾郎の落ち着いた様は、天下人としての威厳なのだ、と寿也は疑うことも無かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天下が統一されて以来、筆頭家老となった佐藤寿也は、
常に政(まつりごと)に忙殺されていた。
一方、吾郎は、与えられた公務をなんとはなしにこなすだけだった。
むしろ、気まぐれな
___女人をはべらせ宴を開いたり、
鷹狩りをしたりと享楽にふけったかと思えば、
一人自室に篭り、誰もよせつけずに書物を読み漁るという
___日々を過ごしていた。
その様にいささか眉をひそめる者もいたが、
大半の家臣たちは、吾郎からかつての冷酷で鬼人のような恐ろしさが
無くなったことを喜んでいた。
そんなある日のことだった。
「寿也・・・今宵は二人で飲み明かそうぞ」
新田開発についての閣議を終え、寿也が下がろうとしたとき、
吾郎が寿也にそっと囁いたのだった。
「は?」
今夜は新しく家督をついだ眉村家の当主と、
代替わりしたその家臣たちとの交流を深めるべく、宴に呼ばれていた。
だが、寿也はすぐに笑顔になり、二つ返事を吾郎に返した。
最近はあらゆる公務に手間取り、吾郎とゆっくり話す時間もなかったため、
いくつか内密に進めたいことを相談するよい機会になるかもしれない、
と思い直したのだ。
今の寿也は、この国のことで頭が一杯であった。
すべては吾郎のため。吾郎の天下のため。
その意思はどこまでも強かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時を同じくして、茂野家の本城から離れた、とある場所にて。
「それで、隠居した某(それがし)に、どうせよと?」
眉村健は、自身の城の離れに突如訪れた来訪者に、
あまり歓迎する様子もなく率直に用件を聞いた。
その鋭い眼光に威圧されまいと、
清水大河はもう一度頭を床につけるようにして言葉を述べる。
「・・・・登城して、諫言(かんげん)していただきたいのです。」
「それは無理な話というもの。
確かに、今のあの二人には少々問題があるやもしれぬが。」
天下人とその右腕を、「あのふたり」と揶揄してしまうその度胸に、
顔を上げた大河は一縷の望みを託す。
「しかしながら、上様と・・・そして佐藤殿に正面切って物申せるお方は、
今は眉村の大殿より他になく・・・」
「それは本来、清水殿がなさるべきことではないのか。」
痛い所をつかれ、大河は言葉に詰まる。
ここのところ、寿也の半ば独裁的な政治はますます増進しており、
反発しようものなら、その職をも奪いかねない
勢いであった。事実、先日寿也のやり方に異をとなえた家臣は、
いつの間にか要職を退いていた。
そして吾郎の奇妙な振る舞いは日に日に増えるばかりで、
狩りと称して生ける動物をめった斬りにするという、
残虐非道な乱行の噂まで流れるほどだったため、
人心が離れるのも時間の問題ではないかと危惧されていた。
そんな吾郎を守るべく、
寿也はますます権力に執着するという悪循環が生まれている。
いびつな力関係の歪みは、やがて大きな災いをもたらすのではないか___。
あちこちで囁かれる小さな火種を聞くたびに、大河の不安は大きくなり、
意を決して眉村の元へと足を運んだのだった。
「ご自身は安泰のまま、それがしにそのような大役をまかせようなどとは、
あまり感心できることではない。」
冷ややかな眉村の言葉に、大河の表情が曇った。
「そうではございませぬ。・・・私では・・・もはや上様に目通りすら叶わないのです。」
大河とて、何もしなかったわけではない。
浮き雲のような吾郎をなんとか発奮させるべく動いてみたり、
誰もが怖気づく閣議の場で、何度も寿也に対して熱弁をふるっては見たが、
結局、力及ぶことなく、強大な佐藤寿也の力の前に、
茂野家における清水家一族の勢力は次第に小さくなってしまったのである。
「今の彼らに苦言をするのがいかに難儀なことかはわかる。・・・だが。」
眉村はそこまで言うと、黙って立ち上がり、障子を開けた。
大河の視界に、突如手入れの行き届いた庭があらわれ、
紫陽花が鮮やかな薄紫色を放つ。
「決して、愚かな者たちではない。必ずや、転機は訪れよう。」
眉村の表情は厳しくも、
そこには、かつて自分に仕えた者への信頼と、
この国の運命を託した天下人への畏敬がこめられていた。
其の十参へ
戻る
|
|