< 迷い >
「いくつか相談したき議がございまして・・・」
その夜、用意された酒肴を勧めながら、
寿也が日中と変わらぬ調子で話をする。
吾郎の部屋はただ広く、気まぐれで買い漁った異国の品や、
きらびやかな鎧が飾ってあれども、
それらが主から日々愛でられている様子はなかった。
「・・・で、いかがでございましょう?」
「・・・ああ・・・寿の好きにしろ。」
寿也の話を、きいているのか、いないのか。
政治にあまり関心がないのはわかっていたが、これではあんまりだ。
寿也は少し大きめにため息をついて、では、そうさせていただきます、と
事務的に答えた。
だが、もっと困惑したのはその後だった。
吾郎が杯を持たぬ方の手で、寿也をぐい、と引き寄せたのだ。
「・・・・昔と変わらず、美しいな。」
「は・・・はあ・・・。」
どう対処すべきか困っている寿也を見つめ、吾郎はふっ、と笑う。
寿也はその意図を汲み取ることができない。
肌を重ねなくなってどれほどの時が経ったのだろうか。
あれほど惹かれ合った二人である。女子すら嫉妬するほどの間柄だった時期もあった。
だが時は流れ、天下統一が現実のものとなるに従い、すれ違う日々が続き、いつしか
深い仲と呼ばれることもなくなっていた。
寿也はそれを気にすることもなく、むしろ、実力をもって今の地位を保つことができることに
喜びを見出していた。
それに、何人もの若い側室や小姓を抱えている吾郎が、この期に及んで、
いまさら自分を抱くはずはない。
あの清水大河ですら、りっぱな青年となり、男らしい姿となった今、
夜伽を命じられることはないと聞いていた。
それゆえ、何かと難癖をつけてくる彼を吾郎から遠ざけることが出来たともいえる。
だが、もし、今この場で吾郎が自分の体を望むのなら従うまでのこと。
主の機嫌を損ねても仕方がない。
吾郎あっての自分なのだ。
____すべては、吾が君のため。
寿也は自分の有り方を信じて疑わなかった。
吾郎の唇が、ゆっくりと落ちてくる。
やがて、寿也のそれに重なった時。
その感触に、寿也は忘れかけていた熱を思い出し、急に胸の高鳴りを感じた。
ただ、傍にいたい。
そう思っていた頃があったのではなかったか。
寿也はふいに顔を赤らめ、吾郎の顔を見上げると、
戸惑いながら、恐る恐る、瞳を閉じようとした。
しかし、自分を見下ろす吾郎は、冷徹な笑みをうかべたまま、
それ以上何もしなかった。
「話が終わったのなら下がってよいぞ。」
「上様・・・?」
まるで興味のない顔をして、吾郎はあくびをする。
狐につままれたような表情の寿也に、嘲笑を浴びせる吾郎。
「それとも、久方ぶりに俺に抱かれたいのか?天下の佐・藤・殿。」
寿也の顔が羞恥で歪んだ。
「・・・戯言でございましたか。」
寿也はかろうじて怒りを抑え込むと、頭を垂れた。
吾郎は自分をからかって、楽しんだだけだった。
これもひとつの余興だったのだ。
今の吾郎に何を言っても仕方ない、と半分呆れながら寿也は襟を正して
後ろに下がる。
やはり、昔のような二人には戻れぬのだと、
改めて現実を知った寿也の表情は、恐ろしいほど冷静なものだった。
それが、吾郎の神経を逆撫でする。
「その目・・・・気に入らぬ。」
吾郎が吐き捨てるように言い放った。
不意に吾郎の瞳が妖しく光ったかと思うと、
その手は電光石火の速さで床の間の刀を抜いた。
「!!」
刀の切っ先が寿也の額をかすめ空を斬っても、寿也は動じることなくその場を動かない。
「お前の美しい首元を赤く染めてもいいか?」
もはや寿也は何が起ころうとも、驚かなかった。
何のために、力を注いで来たというのか。これから自分はどうすべきなのか。
心の片隅に迷いが生じはじめた。
「・・・血迷われましたか。」
虚しさを隠そうともしない寿也の視線を吾郎は受け流す。
不気味な光をたたえた刀身は、それ以上動くことなく、静かに床に落ちた。
「・・・・そうかもしれぬ」
吾郎が小さく呟いた。
そのあまりにも寂しげな瞳に、寿也は急に胸騒ぎを覚えた。
「上様・・・何処へ?」
寿也の問いには答えず、吾郎は不意に立ち上がり、部屋を出て行く。
「お待ちください!」
吾郎の背を追いかけながら、寿也はこの時、
何か大事なことを見誤っていたのではないかと、
顔が青ざめていくのを感じていた。
その十四へ続く
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