<傷>












西の城を明け渡すために、寿也は、申し訳程度の兵とともに、城に残った。


城の窓より、去っていく自軍を見送る寿也を、吾郎は一度だけ、馬上より見上げる。


寿也は黙って、小さく頷いた。




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___________________________前夜




「寿也」


鎧を脱がずに、仮眠していた寿也の元に、突然吾郎がやってきた。


「・・・・悔しくて、眠れませぬか?」


静かに瞼を開けた美貌の軍師も、疲れの色は隠せなかった。

寝巻姿の吾郎は、たわけ、と言ったきり、かしずく寿也の前を通り過ぎ、
上座に座る。


「こうして向かい合うのは、・・・・久しいな。寿也。」


「・・・はい。」


寿也が茂野家に来てから、二人で話すのは初めてだった。


「・・・・すまない・・。」


思いもかけない言葉に、頭を垂れていた寿也は少し驚いて顔を上げた。


「お前の言葉に耳を貸し、作戦を練ってから攻めるべきだったのだろうな。俺も少し、
先走りすぎたようだ。だが、かといって・・・・」
 
少し言葉を濁しつつ、吾郎は続ける。

「着任早々、俺が寿也の言いなりでは、家臣共も納得すまい。」


苦笑する吾郎の顔を見て、寿也は自分の冷遇された立場にはやはり理由があったのかと、素直に納得した。そんなことだろうとは思っていても、
吾郎の口から聞くまでは、半信半疑だったのだ。それほどまでに、
やんちゃ盛りだった若者は、りっぱな国主となっていた。


「・・・本当に大丈夫なのか・・?」

「ご心配なされますな。側室の姫が到着する前に、必ずや、
 城を奪い返してみせます。」

過去に、この砦は眉村家の領地だったこともあり、寿也はこの地を熟知していた。
砦を明け渡した直後に少数の兵だけを率いて奪還する。
寿也のこの奇襲作戦に
、一度は了承したものの、吾郎は内心あまり賛成ではなかった。


「そう、うまく事が運ぶのか・・・?」」

「・・・ご信頼が薄いようで。」

思わず皮肉を言ってしまったので、寿也は怒声を覚悟した。
だが、帰ってきたのは言葉ではなく、温かな手が自分の髪を撫でる感触。
その手は額から頬にかけてすべる様に動き、くい、と寿也の顎を持ち上げた。


少しはだけた吾郎の胸元に、古い刀傷が見えた。


「・・・・眉村はよく、お前を手放したな。」

「・・・誤解の無きよう申しあげます。
 眉村の殿には、唯一無二の方がお傍においででした。」


意味深なその言葉に対し、寿也はさらりと答えた。
確かに、眉村家での寿也は、弟の代になってからは、軍師でしかなかった。


ここではそうではないだろう、と、寿也は覚悟していた。
むしろ、それでもいい、と思う自分がいるのも事実だった。
とうの昔に元服した寿也には、少年のような美しさというよりも、
そこはかとなく漂う妖しさがあった。

だが、いまさら色香で重用されたと噂されるのも癪に障る。


ゆっくりと、吾郎の顔が近づく。
寿也は黙って、主の唇を受け入れながら、わざと甲冑の音をさせてみる。

吾郎はふっと笑みを浮かべ、それ以上何もせず、

「今は抱かぬ。」

それだけ言って出て行った。




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寿也は残された城で、昨夜見た吾郎の胸の傷を思った。



昔、茂野家に身を寄せていた頃、二人は共に、同じ師から剣術を学んだ仲だった。
少年だった彼らには、次期当主と、人質の家臣という身分の差など関係なかった。
共に腕の立つ二人は、お互いの上達ふりに刺激され、切磋琢磨しながら、
深い絆をはぐくんだ。


ある日、師匠の制止も聞かずに、吾郎がどうしても真剣で手合わせをしたいと言い出した。
手加減しては自分の身が危ないと、とっさに斬り込んでしまった寿也の一太刀は、
あっという間に吾郎の胸を赤く染めた。


故意ではなくとも、茂野家の嫡男に深手を負わせてしまったのだ。
あの時、城内の誰もが、そして寿也本人も、死罪は免れられぬことを覚悟した。
だが、何のお咎めもなかったのは、吾郎が寿也を必死に庇ったからである。


_____俺も同じ罰を受ける!


あの時の、吾郎の涙を、寿也は忘れることはなかった。
そして、叶わぬこととは思いながらも、
いつしか自分の手で彼に天下を、という深い決意が生まれた。


やがて、茂野家と眉村家の力関係は均衡し、
寿也はその主と共に元の城へ戻ることとなった。


別れの前日、闇夜にまぎれ、二人だけで過ごした夜に何があったかは誰も知らない。


今、幾たびかの時が流れ、運命に手繰り寄せられるように、
もう一度寿也は吾郎の傍に居た。





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