<月>





西の城に入った榎本直樹は、従順な寿也に、満足げに頷いた。そして、

「茂野殿に、よろしうお伝え願いますぞ、」

と言うと、妖艶な瞳を細め、この城から出られればの話、と
付け加えた。


「何のことでしょう?」


「このままそなたを、易々と帰すとでも思ったか?」



・・・・・やはり無謀な作戦だった。






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茂野家の本城では、忍びの者から一連の報告を受けた
吾郎が怒り狂っていた。


「お前らは何をやっていたのだ!!」


響き渡る怒声に、その場の家臣たちが凍りつく。
いつもにも増して、吾郎の怒りは激しかった。



やはり作戦は見抜かれていたのである。
榎本は寿也の帰城を認めず、同じく人質として城に留まることを要求した。
その横柄な態度に対し、寿也は論述で戦った。


「おなつはどうした!」

「はっ。既にお戻りです。だいぶ衰弱はされておりますが・・・」


寿也がこっそり渡したざくろの実を使い、労咳(結核)を装った側室の姫は、
なんとか城から出されていた。
だが、残された茂野家の兵はすべて殺されたという。



「榎本・・・・許さねぇ。 ズタズタに切り刻んでやる!!」

その言葉はむなしく響くだけだった。


___こうなっては総攻撃じゃ!

___佐藤殿のお命が。

___それくらいのお覚悟はあるはずだろう?

___眉村殿に援軍を。

___いや、今眉村殿が動いては北が手薄となる。
 
___ここはまず、いったん北上して立て直すべきじゃ。




様々な意見が飛び交う。
西の砦ともいえる城を取られ、軍師を捕らえられ、
もはや敗色濃厚となってしまった茂野家に
進むべき道は残されていなかった。

だが吾郎の判断は早かった。


「こうなっては時がすべてじゃ。今すぐ攻め入るぞ。」

「お館さま。お供いたします。」

「大河・・・・。此度の戦は危険だ。それは許さぬ」

「ならばなおのこと。」

決意の固い大河の瞳に、吾郎はしばし考え込んだ後、では俺の傍を離れるな、とだけ言った。
もはや茂野家の命運は、この一戦にかかっているのだ。



出撃の合図とともに、のろしが上がり、いっせいに馬が駆け出す。




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「ぐっっっっ・・・・はぁ・・・」


これで逃げ出そうという気にはならぬだろうの、との声で、ようやく開放された寿也は、
息も絶え絶えだった。
うつぶせに倒れたままの寿也を捨て置いたまま、牢の扉が閉まった。


立ち上がることもできないような狭く、暗い闇の中で、寿也は、
たった一つの小窓から見える月を見ていた。


遠くで、戦の音が聞こえる。
ここに幽閉されてしばらく経つが、時々こうして聞こえる
喚声は、もはや自分には縁のないものに思える。


残された家臣はみな殺されてしまったようだ。
側室の姫は、無事に吾郎の元に帰っただろうか?
それでも、自分が人質としてここに囚われていては、百害あって一利もない。
隙を見て脱出を試みたあげくがこの座馬だ、と寿也は虚しさに襲われた。


ここで朽ち果てるのを待つくらいなら、自ら命を絶つしかないのか。


チラリと、見張りの兵を見た。
こちらを見ている様子はない。


「・・・・っぐっ」


舌を噛み切ろうともがく。


_________だが。



一瞬、浮かんだ愛しい面影。



この期に及んで、もう一度会いたいなどと・・・・。



口中に血の味が広がり、唇からこぼれた。
それはまるで、涙のように寿也の手に落ちた



「・・・・・吾が君・・・・。」



それは、眉村家では一度も口にしたことのない言葉。
心の中で、たった一人を想うためだけに口にしてきた呼び名。



「私は・・・・私は・・・・・」

もう二度と、傍を離れたくないと誓った筈なのに。

二人で天下を、という叶うはずのない夢が手に届きそうになってから、
自分は少し焦っていたのだ。


寿也の手の中で、一筋の涙が、血の雫と混ざり合った。












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「ひるむなぁぁ!!進めぇぇ!!!」



降り注ぐ弓矢をかいくぐり、敵の懐へと突っ込んで行く。
まるで鬼神のような吾郎を前に、多くの兵がおののき、恐れる。


雑兵が何人束になってかかっても、
吾郎の周りにはただ屍が転がっていくだけなのである。
頭数では圧倒的に劣る茂野軍だが、肉弾戦に持ち込むと
吾郎を先陣にそのすさまじい強さを発揮した。


だが、吾郎一人で持ちこたえられる時間は限りあるものだった。


じわじわと、味方の軍が減ってゆくのは吾郎もわかっていた。


「くそう・・・・寿也のところまでは行けぬのか」


さすがに少し息が上がってきた吾郎の前に、
ひときわ大きな体と、派手な鎧を身に着けた千石真人が現れた。


「この戦い、貴様をやればそれで終わりのようだな?」


「ありがてぇ。大将自ら出向いてくれるとは。」



不敵な笑いを浮かべ、吾郎も一歩も引かない。



戦場が急に静まりかえる。この一騎打ちを、両軍は固唾を呑んで見守った。



そして、その隙を見て大河は、一人戦列を離れていた。







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