<生きて>
さきほどから聞こえていた戦の喚声が、少しずつ、大きくなっているようだった。
(・・・・・もしや、大きな戦が・・・?)
やがて、確実に近くなるその音とともに、寿也の瞳に生気が戻り始めた。
(もう一度ここから抜け出せるやもしれぬ。)
傷ついた体を必死で起こす。そして、五感を研ぎ澄ませ、
あたりの気配を一心に伺った。
やがて城内が騒がしくなり、見張りの兵が、何か言い争っている。
______この城はやがて墜ちるぞ!
寿也は不敵な笑みをうかべ、二人の見張りの兵に言った。半ばを挑発するように。
自分は昔、この城にいたから抜け道が判る。
そう言って牢の扉を開けさせるや否や、傷ついた捕虜とは思えぬ身のこなしで兵らを倒すと、戦の混乱に乗じて抜け出そうと寿也は走り出した。
だが、狭い空間に幽閉されていた体は思うように動かない。
寿也は気力だけで、足をひきずるようにして懸命に走った。
地下へと抜ける道に進もうとしたとたん、そこに黒い影を見つけ、寿也は固まった。
ここを知っている者が既にいたのか、と身構えると、その影が素早く動いた。
「・・・清水・・・・大河殿か?」
「・・・お迎えにあがりました」
それは、戦いに倒れた敵軍の甲冑を着ていたが、間違いなく清水大河だった。
年端もゆかぬ彼が戦場に来ていることに、寿也は茂野家の一大事を思い、ますます、
自責の念にかられた。
一方の大河は、思わぬ敵に遭遇したかと、
一瞬動揺したことを悟られまいと、落ち着きをはらってひざまずいていた。
そして、やはりこの人は、自力でここまで来ていたのかと、心の中で賞賛を送る。
「お急ぎなさいませ」
「かたじけない。」
暗い道はぬかるんでいて思うように進めない。大河は寿也に肩を貸し、
ようやく城の裏手に出たときは、城の内外は混沌としていた。
このまま一気に、茂野軍へと合流できる。
大河の瞳が輝いた。
__だが、乗り手を失った馬を奪った時だった。
大河は寿也の肩越しに、弓矢を構える敵の兵士の姿を見た。
憎悪に満ちたその顔を見て、捕虜が逃げたことがばれたことを悟った。
明らかに、自分たちを狙っている。
思うよりも先に、体が動いた。
寿也の前に立ちはだかった大河の胸に、一本の矢が刺さる。
気丈にも、大河は倒れない。
だからちょうど馬に乗ろうと足をかけていた寿也にはそれがわからなかったのだ。
「・・・佐藤殿、先に行かれよ・・・」
寿也が馬上の人となった気配を感じた大河は、振り向くことなく呟いた。
「・・・清水・・・殿!?」
その様子になにかおかしいと感じた寿也が気付く前に、
大河は最後の気力を振り絞って、刀の柄で馬の尻を思い切り叩き、
有無を言わせず走らせた。
馬の蹄の音を背中に聞きながら、それが遠くなることを確認した大河は、
その場に膝をついた。
「・・・・はっぁ・・・・」
痛みと苦しさの中で、思い浮かぶ吾郎の顔。
家臣の前では非情なまでの厳しい顔しか見せないのに、
閨で自分と戯れるときにだけ、ほんの一瞬、垣間見ることのできるその笑顔。
きっとこの先、その笑顔を一番見ることが出来るのはあのお人だから。
彼を救うことで、それが守れるなら。
______これでいい。
せめて、その腕の中で息絶えたいというささやかな願いも、もはや叶わない。
自分でも馬鹿なことをした、と少し笑ってみる。
「まあ、生きて戻れても・・・・キツイお咎め・・・だろうなぁ・・・」
敵陣の中でたった一人。いっそこのまま自刃しようと思い、刀を抜く。
しかし、痛みを耐えていた大河は、くっと顔を上げると、伏せていた
瞳を見開いた。
たった一本の矢で倒れるなんて、吾郎に顔向けできない。
せめて、一矢報いなければ・・・・。
「うおおおおお!」
手負いのまま、刀を振り上げて突進する大河に、
非情にも敵兵の太刀が何振りも浴びせられた。
「・・・・・・おやかた・・・さ・・・ま・・・。」
一人の敵をも斬ることなく、大河は仰向けにゆっくりと倒れる。
最後に目に入った夜明け前の空が、うっすらと白んでいた。
それは、戦場の地獄など、まるで無縁のように、静かな色をたたえていた。
涙が出たのか。その空がぼやけ、そして、暗くなった。
そして自分の体がふわりと宙に浮かんだのは、
この世から消えるからなのだと、大河は思った。
本当は、走り去ったはずの寿也が舞い戻り、目の前の敵を蹴散らし、
自分を抱き上げたからであることが、大河には判らなかった。
懸命に呼びかける寿也の腕に抱かれた命の炎は、まさに、消えようとしていた。
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