<夜の帳>










「大河にございまする。」



入れ、という声がした。




隣国の眉村家の窮地を救った茂野吾郎が、ようやく自分の城に戻ったときには、
薬師寺からの密書を受けてからひと月ほど経っていた。




「ご無事のお戻り、何よりです。」


「おう、大河。戻ったぞ。何、あれくらいの戦、なんでもないわ。
それより、話合いが少し、 長引いてな。」



豪快な主は意味深な笑みを浮かべ、身づくろいを整えさせると、
すぐに酒の用意をさせた。
旅の疲れなど微塵もないように、ゆったりとかまえながら、
大河の注いだ杯を満足げに飲み干した。



「眉村は律儀な奴だ。今回のことで、今後はこの俺にすべて力を貸してくれると
申し出てくれたぞ!


「左様にございますか。これで、お館様の天下への道も、ますます容易となりますれば」


「それだけではない、」


吾郎の雄雄しい瞳がギラリをきらめく。


「眉村家の佐藤寿也は、わが茂野家の直々の軍師となることとあいなった。」


(・・・なるほど、それでやけに機嫌がよいのか・・・。)


欲しいものを、また一つ手に入れて、主君の機嫌はすこぶるよいようだ。


「それはおめでとうござりまする。」


「・・・どうした、大河。 あまり手放しで喜んでいるようには見えないが?」


「・・・・譜代の家臣たちが騒がねばよいと・・・」


「はっきりと申すな。まあそこがそなたのよいところだがな。」



そう言って、吾郎は大河の腕をぐいと引いて、自らの袂に引き寄せた。




「無理するでない。お前は俺の「特別」だ。お前に口添えを頼む輩も多かろう?」



確かに、吾郎の寵愛を一心にうけ、かつ頭脳明晰で、ものおじしないその姿勢は、
城内では一目おかれていた。故に、直接吾郎に物言えぬ家臣が、清水大河を通して
意見を伝えようとすることは珍しくなかった。


しかし、今口にしたのは、大河の個人的な見解だった。



吾郎は以前から、眉村家の軍師をやけに気に入っていた。

ことあるごとに佐藤を褒めたたえるような発言もあり、譜代の家臣たちのなかには、
おもしろくないと思っている輩も多かったのは事実である。
しかし、具体的に不満を述べるまでには至らなかった。その実力は、
今の茂野家には余りある程だからである。

寿也は幼い頃、人質として茂野家にいた眉村の兄に仕えており、
幼少時代は吾郎と共にこの屋敷で共に学んだという。
頭脳、度胸、礼儀 戦術。どれをとっても抜きん出ていることは大河もよく
知っていた。

おそらく、佐藤自身も、今もっとも天下に近いわが主君に仕えることは
破格の出世であり、自ら志願したとしてもおかしくはない。
なによりも、誰もが見惚れるというその美しい容姿に、
吾郎がすっかり心奪われていることも、敏感な大河は感じ取っていたのだった。


(いずれ、身も心も、佐藤殿の虜になられるのだろう・・・)



そんな自分の揺れる心を見透かされたのだろうか・・?


人払いされた部屋の中で、吾郎の手が裾を割って大河の膝を愛撫していた。


「・・・・、妬いてるのか? 馬鹿な奴だな・・・。」


傍に仕えた初めた頃は、忠義というよりもむしろ、
どこか冷めた義務感だけで、こうした夜を幾度となく過ごしてきた。
姉が側室として城に上がる頃には、自分は側近としてとりたてられ、まさに
清水家は茂野家譜代の家臣として、その地位を確固たるものとする。


それこそが、自分の喜びであり、野心であったはずなのに・・・。


いつの間にか、貪欲で、強引で、とてつもない野望を持つこの主に、
狂おしいほど惹き付けられてしまった自分がいた。


「・・・おやかたさま・・・もしや、今回の援軍は・・・佐藤様を得るためで・・?」


「 お前も意地がわるい・・・。眉村家からの密書に心打たれたからであろう?」


そういってその指が容赦なく自分を攻め立てる。


漏れ出でる声を抑えながらも、高ぶる体を相手に預けた。
吾郎が満足げに抱き締める。



____まあ、あわよくば、との思い、無きにしも非ず・・・・。


おそらく他ではもらさぬであろう本音が、大河の耳元で囁かれた。



この先も、主君の自分への信頼が揺らぐことはないだろう。
だが、このような夜を過ごせる日が来なくなるのは、
そう遠くない未来だと感じていた。






この手を、この息遣いを、この体の隅々まで刻み込んでしまおう。







いつか戦場にて、その盾となる日まで。





<終>



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