<君がため>














「殿!本丸に火の手が!」

「何!?阿久津と市原はどうした!?」

「残念ながら・・・・。」

軍師である佐藤不在の隙をついて、謀反を起こした江頭軍との激しい攻防の果てに、城は落城間近だった。
城下を見下ろす眉村健の苦渋に満ちた顔に、薬師寺の胸が痛む。

いつも凛とした佇まいの城主は、左手に傷を負い、髪も乱れて、その顔は煤で汚れてしまっていた。
それでも、その美しさはいつもにも増して際立っている、思った。


「御台(みだい)と、姫は無事に逃れたか?」
「先ほど、夜陰に乗じて、お出になられました。草野がついておりますゆえ、安心かと・・。」
「・・・・そうか。」


正直、本心では、いくら草野といえども、正室と幼い二人の姫を伴い、無事に城外へ出たとしても、
敵の軍勢から逃れることができるかはわからない。
だが、望みは薄くとも、眉村家の血筋を絶やすわけにはいかなかった。


「薬師寺、そなたに頼みがある。」
「なんなりと」


「・・・厚木城からこちらへむかっている佐藤の軍に合流いたせ」
「・・な、何を・・・!?私に、殿を残してここを去れと仰せになりますか!?」
「そうだ。」


いきなり下された命令に、薬師寺は目を見開いて驚いたが、
素直に従う筈もなかった。


「既に城は取り囲まれておりまする。ここから出ることは不可能かと。」
「・・・・余の命に背くと申すか?」
「・・・・申しわけありませぬ。」


本当はそんな理由で逆らっている訳ではない。
この期に及んで、この場を離れるつもりなど微塵もなかったからだ。


「この薬師寺、最後まで殿をお守りいたします!」
「たわけ!・・・ 私の心がわからぬのか・・・!?」
「・・・・。」


怒りに満ちた眉村の腕が伸びてきて、薬師寺の襟元を掴む。
その鋭い視線に臆することなく、真っ直ぐにその瞳を見返した。


謀反の知らせを受けた遠方の軍師、佐藤寿也の軍は、すぐさま帰城を試みるも、
長雨による川の増水により、途中で足止めをくらっていた。
先にこの城が落ちることは目に見えている。

自分を生かすためだけのその命令に、薬師寺は震えるような喜びを感じながらも、
断固として従うつもりなどなかった。


薬師寺は自分を掴んでいた眉村の手をゆっくりと離すと、その右手を両手で包み、深くひざまずいた。


「幼き頃よりお仕えしたこの身が、殿を残してどうして生きながらえましょう?
とうの昔にこの命、殿に捧げておりまする。その誓いを、よもやお忘れでございますか?」


「忘れてなどおらぬ!!だからこそ・・・。」


厳しい形相が一瞬だけ緩み、その瞳に涙が光ったように見えた。


「・・・・頼む。・・・そなただけは・・・生きていてほしいのだ・・・。」




許されざる想いが満たされるには、その言葉だけで十分だった。




「どうしてもと仰せなら、それがし今ここでこの命断ちまする。」


薬師寺の覚悟に、さすがの眉村もそれ以上無理を言えなかった。


「・・・もうよい・・。」


くるりときびすを返し、再び燃え盛る城下を見下ろす眉村の背中を、
薬師寺は愛おしそうに見つめた。
死の覚悟など、いつでもできていた。
それでも、せまりくる落城の時を、むざむざ待つのは、はらわたが煮えくり返る思いだった。
せめて、もうすこしだけ時間が稼げれば形勢は変わっていたのかもしれない。
薬師寺は自分のふがいなさに頭を垂れた。



あの日、秘密裏に走らせた早馬は、やはり敵の手に落ちたのだろうか・・・。


ハッとして顔を上げると、眉村が目の前に腰を落とし、自分の顔を覗き込んでいた。


「もはや、これまでじゃ・・・ここで腹を切る。介錯を頼む。」
悔しさで涙がこぼれる。眉村は穏やかな顔で、薬師寺の肩に手を置いた。


「・・・そなたに最期を託せるなら本望だ。」
「殿・・・この場に火を放ちましたら、私もすぐにお供いたし・・・」


その時、大きな爆発音とともに、城が大きく揺れた。



一瞬何が起こったのかわからなかった。

気がつけば、薬師寺が自分に覆いかぶさっていた。



「・・・・何の音だ・・?」


その問いへの返答がない。




「如何した?」




眉村は起き上がり我が目を疑った。
薬師寺に守られて、自分は無傷だった。しかし、
落ちてきた天井の梁が、彼の背中に致命的な傷を負わせていた。



「薬師寺!!」


眉村の悲痛な叫びは、燃え盛る炎の轟音にかき消されてしまう。



「殿・・・ご無事・・で・・・?」


薬師寺の端正な顔が苦痛にゆがむ。


苦しい息の下で、この世で最も愛する男の腕に抱かれながら、
震える手をその頬に伸ばした。



美しいその顔が自分の血で赤く染まってしまっても、最期まで、触れていたかった。



「しっかりいたせ!! 私の傍を離れぬと・・・申したばかりではないか!」


「・・・離れませぬ・・・いつも・・・お傍・・に・・・」


「許さぬ!!薬師寺! 先に死ぬことなど絶対に許さぬ!!」




薄れ行く意識の中で、伝令の声が微かに聞こえるような気がした。




______申し上げます!ただいま隣国より、茂野様の軍勢が到着し、江頭軍をことごとく蹴散らしておりまする!
申し上げます! 茂野様の援軍が____!!




奇跡の知らせが聞こえたのだろうか?
その時、確かに薬師寺が微笑んだように見えた。





やがて、頬をつたう一筋の涙と共に、その手が力なく離れ落ちる。







「_______!!」









最期に聞こえたのは、自分の名を呼ぶ、愛しき声の響き_____。









<終>



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