寿くんお誕生日記念
 SS 2009年




<いつか見た空>





___元気か。今日誕生日だろ?

恐ろしいほど忘れっぽいくせに、
何故か自分の誕生日だけは覚えている恋人は、
毎年必ず海のむこうから電話をくれる。

だがその日の寿也には、恋人との会話を楽しむ余裕はなかった。


「ああ、吾郎くんか。ごめんね。これから試合なんだけど、その前に取材があって・・・」

___あ、わりいわりい、じゃあ、またな!





二位との直接対決を征したシャイアンズは、マジックが再点灯した。
このまま、次週の連戦を勝ち抜けば、
いっきに優勝という大きな目標に手が届くだろう。

しかし、寿也はここにきて打率が落ちてきていた。
上手くいかない苛立ちはプレーでのケアレスミスをも招き、
焦りと不安が寿也の心を支配した。

チームに迷惑をかけたくなくて、ひとり、トレーニングに励んだ。
その間を縫って、多くの取材や撮影もこなしていた。
明日の球界を担う期待を背負った若きスターは、
ただがむしゃらに前に進む日々だった。



◆◇◆



週末の連戦をなんとか勝ち越し、
久しぶりに何も予定のない休日がやってきた。
室内トレーニングで軽く汗を流すと、寿也はロードワークを選んだ。
グラウンドを何週もするよりもいくらか気分がかわること期待して、
シューズの紐を結び直す。

サングラスをかけ、地味めの練習着を羽織った姿は、
あまり人目にはつかなかった。
住宅街を抜け、川沿いを走る。

気温はまだそれほど低くはない。
それでも、川原の茂みからきこえる虫の音や、
時折吹く乾いた風の匂いが、
確実に季節の移り変わりを伝えてくる。

初秋の空気を感じながらも、
寿也の頭の中は明日の試合のことでいっぱいだった。
投手へのリード。バッティングの課題。
考えたいことはたくさんあるのに、頭の中が整理できない。

険しい顔で走っていると、目の前に人影が現れた。

「あ・・!!」

カメラをかまえたままゆっくりと前を横切る女性と
危うくぶつかりそうになってしまった。

思うよりも先に体は反応する。
素早く横に身を寄せ難なくやり過ごした寿也は、
すぐ横を走り抜けて行く自分になど目もくれず、
一心にレンズをかざす女性の様子が気になった。

視線の先には何があるのというのだろう?

寿也は走る速度を少し落とし、そっと後ろを振り返る。



視界に飛び込んだのは、美しい夕焼けの空だった。
寿也は思わず立ち止まり息を呑んだ。
ずっと太陽を背にして走ってきたから、気付かなかったのだ。


それは河の上いっぱいに広がる幻想的な世界。
透き通るような橙色に染まる空に、いくつもの雲が浮かんでいた。
まだ夏の名残を残す立体的な雲は、
沈みかけた太陽の光を幾重にも屈折させ、
キラキラと輝いている。


(なんて・・・なんて綺麗なんだろう?)


寿也は夕焼けを見つめたまま動けない。



思えば、同じ光景を見たことがあった。



中学三年の初秋。
海堂高校のセレクションに向けて、
吾郎と二人トレーニングを積んでいた頃。


川原でキャッチボールをした時、
捕球し損ねた球が雑草の茂みに入ってしまったことがあった。
さんざん探し回った挙句、見つからなくて文句を言ったのが
まるで昨日のことのようだ。


___もう!吾郎くんの暴投だからね。

___しょうがねーだろ。ちゃんと捕らない寿が悪い。


いくら怒っても、吾郎は自分をからかうばかりだった。
背の高い草に囲まれて、座り込んだ二人の後ろでは、
空がオレンジ色に染まり始めていた。


___暗くなる前に帰ろう、吾郎君。


寿也は吾郎の返事を待たずに立ち上がりかけた。
するとその腕を、吾郎が掴んだ。

驚く間もなく引き寄せられる。

突然の抱擁。
だが自然で、そして、当然の行為に思えた。

寿也の耳元に、吾郎の声が届く。


___ずっと一緒に野球しような。

___・・・うん。


寿也の鼓動が早まる。

温もりの心地良さに、全身が満たされる。

そして・・・。



偶然にも、誕生日に初めてキスをした。
あれは、こんな夕焼けの空の下ではなかったか。


川原で一人立ちすくむ寿也の胸は、甘く締め付けられた。
恋人の唇の感触は、今でも鮮明に覚えている。


その後長い年月が過ぎた。
好敵手として相対もすれば、国際試合でバッテリーも組んだ。
所属チームはおろか、いまや活躍の場は海を隔てている。
けれども、彼と共に野球を続けてきたことは間違いない。
それが今の自分だ。


「吾郎くん・・・。」


幾多の場面で、吾郎がくれた言葉の数々を思い出す。
寿也はふっと笑みをうかべた。
いつのまにか心が軽くなる。


茜色の空を見つめる寿也の眼差しは、喜びに満ちていた。

まるで、恋人から贈り物を受け取ったように幸せそうだった。



◆◇◆



その夜は、寿也から電話をかけた。
遠くアメリカの地から届くのは、底抜けに明るい吾郎の声。


___よお、寿!!

「このあいだはごめん。ちょっと時間がなくて。吾郎くんは、元気?」

___こっちは新入りの問題児に手を焼いてるぜ。マードックって言うんだけどな・・・。

「君以上の問題児ってどんな選手なんだろう?」

___るっせーな!俺は品行方正だ。

「はいはい。そうだっだね・・・。」

たわいもない会話。
愛しい人の声。


「吾郎君・・・・ありがとう。」

「んあ?何が?今年も何にもやれなかったんだけど・・・?」

「いいんだよ。」




ずっと、一緒に野球をしよう。




【終】







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寿くんお誕生日おめでとう。


先日、大きな橋を渡る途中、こんな空を見ました。
あまりの美しさに、気持ちが洗われました。
自然が織り成す光景が、偶然にも寿くんへのプレセントになればいいな、と
かっこつけてみた次第です(そしてあいかわらずベタベタですいません)
ちなみに薬眉の夕焼けはまた違った情景になるでしょう。
それはまた別の機会に・・・・。


2009・9・9

なんと、このssに素敵なイラストを頂きました!!


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