吾郎が最後に左肩を痛め手術した頃。薬師寺の設定は完全なる夢捏造です。ご了承を。
薬師寺×眉村
<昔も、今も。>
◇◆◇
久しぶりの日本の空気だった。もうすぐ冬が訪れる気配。テキサスとは違う風が、懐かしさとともに眉村の頬をすり抜けてゆく。指定された小料理屋につくと、初老の女将が出迎え個室に通された。襖が開き、先に来ていた薬師寺が携帯から顔を上げた。かつてトレードマークともいえた薬師寺の長い髪が、スタイリッシュな短髪になって久しい。それでも前髪の間から覘く額と、耳にかかる髪が短くカールする様は昔のままだった。
「元気だったか?。」
「ああ。」
照れたような笑みが二人の緊張を溶かす。薬師寺とゆっくり会うのは昨年のオフ以来だった。彼もまた、眉村が渡米した後、少し遅れてメジャーリーガーになった。だが、同じアメリカでプレーしているとはいえ、地区もリーグも違えば日本のグラウンドよりも距離がある。シーズン中ほとんど会えない分、帰国すると心行くまで和食を堪能しながら近況報告をするのが毎年の儀式となっていた。
チームのこと、球界のこと、そして、互いの家族のこと。たわいのない話から、真面目な野球論議まで話は尽きない。異国の地ではなかなか味わえない本格的な日本料理に舌鼓をうち、瞬く間に時が経つ。やがて馳走の数々をほぼすべて平らげた頃、ふと会話の流れが変わった。
「・・・明日のスポーツステーション・・・だと?!」
まるでただ買い物に行くような口調で伝えた予定に、薬師寺は予想以上の反応を示した。
「そんなに驚くこともないだろう?何でもワールドシリーズを特集するそうだ。」
「生放送で眉村をゲストに呼ぶなんて、度胸ある番組だぜ。」
わざと意地の悪い言い方をされ、さすがに眉村も苦笑した。実はあまり気乗りがしない仕事だったのだ。
「確かにこういうことはあまり得意じゃない。出来ることならお前に変わってほしいくらいだ。」
「嫌味な奴だな。俺はワールドシリーズの出場経験も無ければ、ギブソンJrについてコメントすることもできねぇよ」
薬師寺が箸を置いて憮然とする。かつて眉村のチームメイトだったギブソンJrは、移籍後初のワールドシリーズ出場となった。眉村は何日か前のスポーツニュースで見た彼を思い出す。気合の入ったコメントを話す姿には父親譲りの貫禄が伴ってきていた。
「ギブソンJrもワールドシリーズの常連だな。くそっ。俺も一度は行ってみたいぜ。」
小さく舌打ちしつつも、薬師寺はいいスーツを着ていけよ、と言って酌をしてくれた。返杯しながら眉村は再びぼやいた。周囲にはクールな人間だと思われてはいるが、心許せる相手には口数が多くなるものなのだ。
「そもそも、俺より適任なのは佐藤だ。」
「仕方ないだろう。奴はこのオフに帰国しないのだから。せいぜいがんばってお前がテレビに出とけ。」
それに、と薬師寺は続ける。なんともいえぬ笑みを浮かべて。
「お前は球界の人気者だしな。」
どういう意味だ?と眉村が問い返すと、薬師寺はそういうトコがだよ、と軽快に笑った。しばし合点がいかないまま考え込んだ眉村の脳裏に、何故か一人の同期ピッチャーが浮かんだ。
「・・・チャンピオンリングを持ってる奴がもう一人いたな。」
「あいつはダメだ。お前以上にマスコミ嫌いじゃねぇか。たとえ奴が帰国しててもオファーは来ないぜ。」
「確かに。」
ひとしきり笑ったあと、「あいつ」____茂野吾郎の現状を思い二人とも沈黙した。左肩を痛め今期途中でホーネッツを離脱した彼は、大きな手術を受け、現在もアメリカでリハビリ中だった。
「順調に回復しているだろうか。」
眉村のつぶやきに、薬師寺が表情を曇らせる。
「・・・だと、いいが。」
ホーネッツと同じ地区の伝統あるチームに籍を置く薬師寺は、自分よりもずっと彼らに近い場所にいた。だからこそわかる何かがあるのだろう。その先を言いよどんでいる姿を見ると、少なからず聞こえている茂野吾郎についての悪い噂が、嫌でも眉村の頭をよぎった。
「もう1軒行くか。」
重苦しい空気を断ち切るように薬師寺が言った。眉村は彼とともに料理屋を後にして、肌寒くなった秋の夜道を歩いた。
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2010年8月9日
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