<はじまり> 
          外伝「桜」とリンクしています。
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城から少し離れた小高い丘に、一本の桜の木があった。




供も連れず、たった一人でこの場に佇む眉村は、いつものように、
桜をいとおしそうに眺めた。


「今年も見事に咲いて・・・」


その昔、自分のために桜になるといった男は、今この下で静かに眠っている。
満開の花咲くたくましい幹に、眉村は静かに語りかけた。



_____戦のない世という、殿の願いが叶いましたな。



愛しい声が聞こえた。

その言葉に、眉村は偉業を成し遂げた二人を思った。

彼らは昨日、久しぶりに登城した眉村を温かく迎えた。


今まで、佐藤寿也が一切の(まつりごと)を一人で担ってきた感があったが、
このところ、茂野吾郎本人も、公の場に出てくることが多くなった。
寿也の政治力に加え、吾郎本来の統率力により、茂野家の天下はゆるぎないものとなった。
国内のあちこちでくすぶっていたちいさな反発もいつしか収まり、
本当に平和な日々が訪れていた。


眉村は、かつて清水大河が必死な形相で、自分に助けを求めてきた日を思い、
ふと笑みをもらした。
あの時、突き放してしまったことを密かに気にはしていたのだが、
結局、吾郎と寿也の二人は、自分たちの力で進むべき道を見出した。
その大河も、今では元のように吾郎の傍に仕え、時折寿也とぶつかっているというのだという。
茂野家の重臣である彼の、吾郎への忠誠は、この先も変わることはないだろう。


「何もかも・・・これでよかったのか?」


薬師寺の幻影に、問うてみた。
静かな笑顔をたたえたまま、何も言わない。


「相も変わらず、都合の悪いことには答えぬのだな。」


あきれたような顔をした眉村を見て、薬師寺が笑った。


_____私は、殿がお幸せならばそれでよいのです。


「ふ・・・亡霊とは、気楽なものだ。」


まだ、若々しさの残る笑顔。
時が止まったままのその姿に、眉村の胸が締め付けられる。


次の瞬間、不意に口にした自分の言葉に驚いた。


「・・・・そなたがおらぬ・・・・」


今まで、こんなことを言ったことはなかった。
こうして、薬師寺の(おもかげ)
と話す時はいつも、
時折迷う自分の行く道を導いてほしい、その一心だったのに。
今日は何故か、目の前にいる彼が幻であるが故に感じる虚しさ、
そして愛おしさに押しつぶされそうだった。


昨日の二人の姿が、何かを思わせたのか。


眉村は首を振り、ただ戦乱の世の終わりが、自分を感傷的にさせただけなのだと、
心の中で自分に言い聞かせる。


それなのに。


_____いつでも傍におりまする。


気まぐれに現れるかつての右腕は目の前で優しく微笑む。


「偽りを申すな!」


眉村が振り上げたその手は、目の前の薬師寺を通り抜け、
むなしく空を斬ると、桜の幹にぶつかった。


「・・・触れることも・・・できぬではないか・・・」


捨て去った筈の、叶わぬ願い。
未だ、これほどまでに心の中に残っていたとは。


____殿・・・。


薬師寺の瞳が曇る。


___私とて・・・・


太い幹に額を寄せ、肩を震わせる眉村に、まるで薬師寺の腕が包み込むように、
桜の花が降り注いだ。


その時、強い風が吹き込み、舞い散る花びらが急に増えた。


それはどんどん大きくなり、嵐のような突風となると、
あたり一面を薄紅色に染める。


「・・・・!?」




一瞬の奇跡が訪れた。




その刹那、眉村は確かに、薬師寺の温もりを感じていた。
自分を包むあたたかな胸は、昔と何も変わらない。


唇が触れ合い、甘い衝撃が全身に走る。


そしてこれが、今生の別れとなることを知った。


「逝ってしまうのか・・・・」


眉村の問いに対し、薬師寺は、厳しい顔だった。
混沌とした時代が終わり、現世に心残りが無くなった今、
こうして眉村の前に現れることはもはや叶わぬと告げる。
切なさと、愛しさに溢れた瞳が潤み、涙が彼の頬を伝ったように見えた。


その唇が、主君への変わらぬ忠誠と・・・深き愛を語った。


___永遠(とわ)
・・・に・・・。


「薬師寺!!」


眉村は、すべての想いをこめてその名を呼ぶ。


薬師寺が自分をかばって死んだあの日から、ずっと胸の奥に仕舞いこんでいた熱情が、
涙と共に、もう一度あふれ出した。


「・・・すまぬ・・・・・・・お前のために泣くのは、
もうこれで最後だ・・・。」


零れ落ちるその想いは、何年もの時を超え、
一つの時代の終わりとともに、今、ようやく眉村を開放するのだ。


主を見守る薬師寺の幻影は、静かな微笑をたたえたまま、気配を消して行く。


眉村は目をそらすことなく、消え行く薬師寺を見つめつづけた。
誰よりも愛する男、誰よりも愛してくれた男との、二度目の別れ。


曇りのない最後の笑顔を、胸に焼き付ける。
たとえ夢であっても、幻であっても、この温もりが消えることはないだろう。



「・・・・・さらばだ・・・・」


最後の花びらが落ちた。



あたりには静けさが戻っていた。



抜けるような青空には、つがいの鳥が互いを呼ぶように鳴く姿。
先ほどの桜色の幻も、薬師寺の姿も、跡形も無くなっている。


立ちすくんでいた眉村は、小さく息を吐くと顔をあげ、
すっかり花の落ちた桜の木を見上げた。






やがて遠くから、早馬が駆けて来る気配があった。

眉村の姿を見つけた馬上の家臣が興奮して何やら叫んでいる。


___大殿!!・・・篤典(あつのり)様に・・・・お世継ぎが・・・!!


眉村の口元が、かすかにほころんだ。



それは、二人の血を引く新しい命の誕生を、告げる知らせだった。



___終わりとは、始まりなのです。



薬師寺が最後に残した言葉を噛み締めた。



この平穏な世がいつまで続くかは誰にもわからない。
だが、数え切れない程失われた尊い命たちと、流された涙を忘れるわけにはいかない。



そのためにも。



「私は・・・・生きて行くぞ。」



小さく呟いた眉村の顔はどこまでも穏やかだった。



その瞳には、戦乱の世を生き抜いた武将としての
神々しいまでの凛々しさが宿っていた。









「馳せる颯」 完 
        

ちょっと自虐的なあとがき 


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